黒と赤

指輪(ぬるめのお題010)

 赤い鋼玉のことをルビーと言う。人の世界では「情熱」や「威厳」「美」という言葉に例えられ、特に色が深く内側から妖輝の光があるものが珍重されるが、魔法を扱う者たちにはさらに上のクラスの石がある。
 それは年を経た竜のみが体内に持つ紅玉だ。そもそも古代種の生物の中の、さらにほんの一握りの竜が持つもので、蓄積された智恵、力、生命そのものでもあった。その石が人の世界に出回ることはなく、伝承だけで伝わる脅威の魔力の源となる幻の宝玉なのだ。
「で、それ由来のお前だが、むしろ青いというか……」
 読書の邪魔をする常で、旧友が傍らで寝そべりながら興味を惹こうと話しかけてきた。床に本を積み上げ、文献をいくつも開き、珍しく胡座で次々と本を読んでいる。
「それは服のせいだろう」
 一応の返事はあるが、視線は文字からそらすことがない。
「眸も蒼い。耳の飾りも青い。ああ、聖界にいたときは翼が赤かったか」
「色などどうでもよかろう。それを言うならお前は白かった」
「何となく気になるじゃないか」
「そんな繊細な神経を持ち合わせていたとは知らなかった」
 殆ど棒読みの返答に、デキウスは背中で移動すると、ルベウスの膝に頭を乗せて下から顔を見上げた。それでも視線は合わせてこない。
「お前由来のルビーというのは、無いのか?」
「無い」
「この中にあったりしてな……」
 デキウスはそういうと、下腹部から胸骨へと掌で撫で上げた。
 ふと視線が落とされるが、別にいまの愛撫に反応したわけではないようだった。
「何を突然興味を持ったのか知らぬが、私の腹を裂いても無いぞ」
 そんな会話をしたのがいつだったか忘れた頃、ルーフェロの夜に備えてデキウスの衣装などを揃えて持参したルベウスが部屋を訪れた。
 夜会服、シルクのタイ、手の込んだ織りのベスト、官能的なまでに肌触りの良いシャツ、シルヴェスのヴァンパイアたちが好む最高級の細工がされたカフス。
 デキウスにとってはどれも頭の痛いものばかりだが、旧友が進んで骨を折ってくれたものには違いない。それにいやいやながら身に着けると、最後には相手の満足げな微笑を見ることもできる。
 そしてそれらとは別に、掌に乗るほどの紫檀の箱が一つ。何だこれは、と手を伸ばしかけ、かすかにチリッと指先を掠める不快感に眉根を寄せた。
 封印はされているが、聖族由来のものが中にあるようだ。低級の魔族ならば、封じてあるとはいえこの部屋に入るのも臆するだろう。
 そんなものを間に挟み、不快な表情をしているものの塵芥でも見るように平然としている二人。
「いつだったか、私由来のルビーは無いかと尋ねたな」
 それだ、というようにルベウスは顎で指すと椅子に腰掛け足を組んだ。
 デキウスは眉を上げると、小さな蝶番のついた箱を開けた。
 黒の天鵞絨に鎮座しているのは、銀に黒い燻しをかけて磨いた男性むけの指輪だった。銀と言うだけで、力の弱いものは敬遠し身につけることもしないが、歳を経たヴァンパイアたちは自分たちの力を誇示するために好んで纏う。
 艶やかな大ぶりのスターサファイアが埋め込まれているが、普通の指輪とは逆にその上から封印するように竜の爪が掴んでいるので、石自体はあまり露出していない。台座まわりからリング部分にかけては、闇を意匠化したような優雅な曲線が細工がされていた。
「赤くない……」
「元々、紅玉と蒼玉は同じ物だ」
 いつかと同じようにデキウスが呟き、その指輪を指先でつまんで、戯れに左の親指に嵌めてみると驚くほどぴったりだった。そしてデキウスの身から影が這い出てその指輪を取り込むと、驚くことに鮮血と闇を足したような深い赤が現れたのだ。
「なんだ、これは」
 さすがのデキウスも液体のように妖しく揺れるような深紅に目を見張る。
 ルベウスが黙ったまま、自分の眼帯を指差す。
「お前の眸なのか?」
「かつて恥ずかしながら、この目が何とかならぬかと我が君に相談した。その時、抉った直後に光を放って新たに再生しつつある眸を、もう一度取り出して我が君の魔力で封じたのがそれだ。眼球にはならず、私は痛み損をしただけだったが。後にも先にも、そんな形になったのはそれだけだ」
 ルベウスは自分の弱い部分を話すのが心地悪いのか、頬杖をついて憮然と続ける。
「再生しつつある段階で石になったから、聖族の気が抜けぬ。だが我が君は美しいからと、酔狂にも私に賜った。眼球だがな……。
 誰が身につけても蒼玉だが、お前の闇の気が勝ると赤くなるようだ」
 デキウスは改めて親指の指輪を見つめ、何か思ったらしくルベウスを見ながらそれにくちづけて目元で笑った。
「相手が違うだろう?」
 ルベウスが高慢に顎を上げ、人差し指を自分の唇にそえる。
「それは失礼」
 デキウスは椅子に座るルベウスに跨るようにして座ると、頭を掻き抱くようにして深く唇を重ねた。貪るようではなく、恭しいキスだ。
「よくサイズがわかったな」
 笑いを含んだ問いにルベウスが「噛みなれている」とあまりに平然と返したので、デキウスはさらに笑いを深めてルビーのような熱を孕み始めた下腹を押し付けた。

 


関連する小説 『一番たいせつ』