黒と赤

聖01 「強く」「頬を撫でる」。キーワードは「初対面」


 魔族と戦う最前線がエクスシア(能天使)であり、位階では中級の最下位に位置する。中級最下位とはいえ、旧神出身のものが一番多く、統括する天使も中級の上位ではなく、神の最側近である七大天使のひとり、戦争と勝利を司るグラティエルの直轄という特殊な扱いをされているランクであった。

 それだけ生粋の半端な聖族では扱いかねる特殊な能力と力を備えた連中が多かったのである。

 フィディウスが非常な骨折りのあとにようやく聖界へ招くことができた地上の旧き神であるデキウスもそんな一人で、明らかにどこに所属を置いてもフィディウスに苦言が届いた。

 みな同じ。

 聖族に相応しからぬ言動が多い、と。

 だがそれは聖界へと招かれた旧神には共通して見られる反応でもある。彼らは地上で神として敬われ恐れられ、そう振舞ってきた。誰のためでもなく自分の気分で、だ。

 そんな彼らをたとえ長い時間がかかろうともエウシェンの意向へと導くのもフィディウスの仕事であった。

 なれぬ事を押し付け要求するよりも、なじみやすい仕事からさせてみようと思い立ち、フィディウスはデキウスをエクスシアの中でも特に『汚れ仕事』と影で揶揄される肉体を持つ魔族を狩る役割を引き受ける部隊に案内した。

 そこには五柱の神の一人であるルートゥアン(堕天のちはシャリート)の配下の者が席を置き、普段は真逆の神の信仰を称える芸術品を求める仕事をしていたので、デキウスの目付けにもちょうど良かろうということもあったのだ。

「残念ながら、肉のある魔族を狩る仕事を嫌がり敬遠する者もいるが、神への信仰とは別に人を直接助けられる高邁かつ必要不可欠な作業なのだ。勇敢であり強将であるお前に好適ではないかと思う」

 フィディウスの堅苦しい言葉に、デキウスは黙することで従順を装いながら、その実興味もなく聞き流していた。

 聖界は退屈だ。それは間違いない。どんな言葉で彩られようが、この世界のように白く塗りつぶされる気分がする。

 二人は相応しくないほど明るく光に満ちた武術の演習場へ降り立ち、圧倒的に純白と白銀と黄金に占められた空間を見やった。それだけでうんざりとした溜息が出そうになるが、そこへ出撃から戻ってきたらしい数名が入ってきて、視線の先に異なる色彩を見つけて興味を惹かれた。まだ戻ってきたばかりで半数のものは肉体を纏ったままだ。

「なるほど、お前もあれに目が行くか。異色であるな」

 フィディウスは堅苦しさが温かみを失っている薄い微笑で視線の先を追う。

 上質の光沢ある絹を鮮血と闇を混ぜて染めた赤というものがあればあれだな、とデキウスは天界でもっとも不似合いな形容を思い浮かべた。

 そんな深紅の翼を二対そなえ、長い髪はデキウスにも懐かしい漆黒だ。

 両の手に剣を持ち、傍らの同僚と何気ない会話でわずかに笑っているが、あれは高揚に似た表情にも見える。挙措は力強くありながら優雅で無駄がなく、相当な使い手なのだろう。だがそれは地上での賞賛の言葉だ。ここで武の力の激しさへの評価は低い。

 こちらに気づくとその場で恭しく一礼を寄こした。フィディウスの招きに頷くと、両手の剣が形を失い白い鳥になって飛び去る。途端に剣士としての仮面が拭い去られて聖族に相応しい雰囲気を纏った。

「出撃、大儀であったルベウスよ。彼が先日話した――」

「存じております、フィディウス。闇の、と聞いておりましたが驚くほど白い」

 上位の相手の言葉をやんわりと遮り、デキウスを射抜くように見つめてきた。薄蒼い目、深紅の翼、漆黒の髪、そして白皙の肌だ。表情を殆ど変えぬまま口端で笑みを浮かべる。

「汚れを落とさぬままでの挨拶、許されよ」

 気づいていないのだろう、白い頬に一点散った赤い汚れ。

 フィディウスは目を細めることで不快を伝えたが、デキウスは思わず指先を伸ばし、それを親指の腹で拭った。こちらはアストラル体なので、必要以上に相手の体温を感じる。指先を舐めなかったのはそれができる肉体がなかったからで幸いした。

 その行為に今度ばかりはフィディウスはあからさまに咳払いをした。

「デキウスよ、聖界では肉体を纏った相手に触れるのは最大限の無礼である。気をつけよ」

 馴染めぬ習慣に、唸るのを我慢するのが精一杯だ。だが不平が口をついて出なかったのは、明らかにその無礼な行為にルベウスなる男がニヤリと笑ったからだった。フィディウスはルベウスの反応を見ていなかったのだろう。

「まだこちらに来て日が浅い。ルベウスも咎めぬように」

「もちろん。ではまたのちほどに」

 もう一度目の前の男を見たときには、取り澄ました顔で二人に一礼して辞した。

 食えない男だ。聖族らしからぬ。

 共に闘えるならば、今よりは退屈せずに済みそうだ。

 デキウスは久しぶりに感じる好奇心に、任務を喜んで負う旨をフィディウスに伝えた。

 

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です