黒と赤

【聖46】 お題:「こんな気持ち知らない」

寝た相手を抱きしめて寝ることなどないも同然で、むしろ行為が終われば次の相手を探しに行く程度に今の相手のことはもう頭にない。相手も恐らく同様で、『仕事』として以上に誰かの寝台を温めることはないだろう。
 なのに上気した頬で息を乱し、忘我だった薄蒼の視線が自分に再び焦点を結ぶと、相手が身を翻すよりも早く腕の檻に閉じ込めたくなるのは何故なのか。
 お互いの汗ばんでしっとりと濡れた肌が触れあい、新たな熱が身体の奥にともるとしても、むしろそれが心地よいのだ。
 立ち上がれば身長の殆ど変らない相手を背後から抱きしめ、首筋から肩へと滑らかに続く筋肉の曲線に唇をつける。
 こんなことはこちらも慣れないが、相手も慣れないのだろう。
 苦笑まじりに軽く身じろぐ気配がするが、逃れようと言うほどのものでもない。
「苦しいぞ」
 笑いが混じった呟きとともに首を軽く捻って、こちらの意図を量ろうとする。そして鳩尾あたりで組み合わせた腕に手を重ねてきた。
「眠れそうだから、じっとしてろ」
「私は眠くない」
 そういいながらも口調は揶うようで、腕の中にある身体は逃げない。だいたい日常においても殆ど眠らないことの男にとって、眠りの快楽など興味が薄いのは間違いないが、こちらの楽しみを否定する様子はなかった。
「こうやってると気分が良いんだ」
「私は苦しい。男に抱かれて眠る趣味もない」
「煩い」
 笑いを含んだ他愛ないやり取り。
 腕の中の身体。
 肌で感じる穏やかな呼吸。
 どれもが何か満たされた眠りにいざなう。
「添い寝は特別料金だぞ」
 腕から逃れることを諦めたのか、溜息交じりの苦笑とともに身体の力が少し抜ける。
「こういう気持ちはなんと言うのだろうな?」
「知るか。頭で考えるのはお前の方が得意だろう」
 デキウスは小さな欠伸を一つすると、心地よさげに抱きしめなおして穏やかな眠りへと滑り落ちて行った。


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