黒と赤

【聖47】 お題:「眠りにつく前に」

ルベウスは聖遺物の倉庫と個人的なスペースをかねた、自分の薄暗くも心地よいねぐらに、肌も髪も白い大柄な男が当然のように場所を占めている風景に幾分慣れたなと思っていた。
 そしてこの男は会話を愉しむためというよりも、体の一部を触れさせて殆ど黙っている。
 本に夢中のルベウスを背後から抱きしめてみたり、あるいは胡坐を組んだ腿に頭を勝手に乗せて、下から顔を覗き込んできたり、時には背中に凭れて自分も大人しく何かを読んでいることもある。髪に触れ、唇に触れて、時に重ねてきた。
 とりあえずルベウスがアストラルでいるよりも肉体を纏っていることを望み、その身体につねに触れたがった。彼らの監督的な地位にもあたるフィディウスが言う「肉体を纏った相手に触れるのは最大の非礼」も、地上で肉を常に纏っていたことが多い旧神たちにとっては何の意味もない聖界のルールの一つで、彼らはお互いに抱き合うことすら何ら躊躇せず、闇の神であったデキウスも同様だった。
 そして彼らは人間のような昼夜の活動概念の薄い聖界においても、地上の生活リズムで動こうとする。暁光と共に起き出し、夜は睦み、眠るのだ。そんな習慣のないルベウスは戦闘でよほど消耗した時以外の睡眠は殆ど取らなかったが、デキウスは眠ることを楽しみの一つとして重要な位置の片隅に置いていた。
 背後からルベウスを緩く抱き込み、その手元の本を興味なさげに見ていたデキウスが肩で欠伸をする。
「眠りたいなら眠るがよい」
 ルベウスが文字から目を上げずに、腕を上げて肩に乗ったデキウスの頭を軽く叩く。
「そうだな」
 いつもなら寝台のないルベウスの部屋に文句を呟きながら帰る時間だ。この部屋には本が積み上げられた円状の内側に、身を持たせかけるのに心地よいクッションがあるだけで、寝台はない。逆にデキウスの部屋は殺風景なまでに何もなく、寝台がぽつんとあるに等しい。
 だが今日はなじみの文句の代わりに肩を抱かれたまま一緒に床に倒れる羽目になり、薄暗い天井を眺めているときはいったい何が起こったのかと、数回瞬きした。
「おい? ここで寝るつもりか?」
 背中にクッションではなくデキウスの肉体を感じながら、憮然と尋ねる。
「んむ」
 まるで独り寝が寂しくて枕でも抱きしめるような調子でルベウスに廻した腕に力をこめてくる。
「帰れ」
「つれない」
 ルベウスの素っ気無さに怯んだ様子もなく、むしろ甘えるように首筋に顔を埋めて横に寝返りをうった。片足を絡めるようにしてルベウスのふくらはぎにのせ、抱擁の檻を確かなものにする。
「いや、お前が床で寝るのは痛いとか、眠れないとか文句を言うのだろう?」
「こうやってると眠れる気がする」
「気のせいだ、鬱陶しい」
 氷点のルベウスの声だが、そんなものに慣れているのかデキウスは抱擁から逃れようとしないのをいいことにさらに抱き込むように腕に力を入れる。
「今更もう遅い」
 そしてルベウスのうなじに鼻を摺り寄せて、安堵するような溜息を漏らす。
「だいたいこんな姿勢で眠れるはずないだろう?」
「わかってないな」
 デキウスは面白がる声音で囁き、ルベウスの耳朶に軽くくちづけた。
「なにが」
「わかるまで、毎日こうして寝ることにしよう」
「私はおおよそ眠れるなどとは思えないが」
「ではじっとしていろ……」
 ルベウスはあきれた様にぐるりと目を上に向け、デキウスの腕から逃れるために身を起こそうとしたが、力で拘束というよりも眠気の脱力感で増したデキウスの肉体の重さが床に押しとどめようとする。
 仕方ないので眠りに落ちるまでつきあって、その後そっと抜け出ることにしようと、手にしていた本を開きなおした。
 だいたい顔を合わせれば、キスや愛撫の向こうを求めそうになるのをお互いが我慢しているというのに、こんな密接な状態では眠るどころではないではないか、と苦笑する。

 デキウスが床の固さについて文句を言ってきた時には、二度と添い寝に付き合わないと固く心に思ったのだが、ルベウスのそんな本音を知ってか知らずか、デキウスは目を覚ましたときに身体が痛いだの寝心地が悪かっただのと訴えることは、ルベウスがこの姿勢で眠れるようになるまで一度も口にしなかった。

 おかげで、ルベウスは背後から抱擁されて眠ることを拒絶する機会を失ったまま、いつしかそれに慣れることになる──。

 


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