黒と赤

【魔15】 切開 【R-18】

 ルベウスはデキウスの体調を数日観察し、眠りに戻るタイミングや目覚めているときの様子から、今暫し多少の負担には耐えられると判断し、やりのこしていると認識していることを実行することにした。
 一応、鎮痛の香や麻酔効果のある植物、オイルなど用意はしたが、今までもどれも大して効き目があったようには思えない。それが残っている瘴気の嚢胞が由来ならば、切除できれば単なる物理的な肉体の苦痛となって薬などで痛みを抑えるのは容易くなるはずだ。
 ルベウスは両手の袖を肘まで捲り上げると、器具や道具を並べたトレイを片手にデキウスの寝室へ入った。
 ベッドサイドのテーブルにそれを置き、頭だけを横に向けて臥して眠っているデキウスの髪を掻き上げる。今はごく普通の眠りの中にあるようで、ルベウスの気配で薄く目を開いた。ルベウスは身を屈めて耳に口を寄せると
「傷の手当をする。少々痛むと思うが」
 と囁いた。
「お前が少々、というのはかなりだな」
「かもしれぬ」
 デキウスの苦笑にルベウスは薄く笑うと、口を開けさせて麻酔効果のある葉を噛ませる。
 苦いだの不味いだの不平を言うのを聞きながら、夜着を脱がせるのではなくうなじから腰までを刃物で切り裂いていく。さらに傷口を覆う布を取り去って、薄膜は張るものの未だ赤く口を開いたままの傷跡を空気にさらした。皮膚ともよべぬ薄い膜が血のあふれ出すのを止めているというよりも、口の中のように粘膜を直接覗いている感覚に近い。
 アストラルが翼として現れる部分だけあって、それが翼へと流れ出す先を失ったものが中で蠢いているようにも見えるが、本当のところがどうなのかわからない。どちらにしても翼の付け根は元々急所にあたるので、感覚が鋭い場所のこの無残な傷の痛みはいかほどかと思えた。
 その傷口にごく軽く触れると、デキウスの身体が痛みに跳ね上がり呻く。
「葉の効果はどうだ? あまり効いてないようなら、まだ2種類用意してある」
「虫じゃあるまいし、また葉を食わすのか?」
「そう言ってられぬ痛みになるぞ。暴れるだろうから、軽く拘束する」
「ゾクゾクするようなお言葉で」
「だろう?」
 軽い言葉遊びを交わすと、ルベウスは僅かに同情するかのように唇をゆがめて笑い、薬を溶かした酒のグラスを渡した。それもまた不味いと不満を漏らすデキウスを横目に、手のひらに乗るほどの小さな小瓶の蓋をあける。
 銀色にも見えるゼリー状のものが入っており、少し甘いような花の香りが漂った。
「鎮痛の香は処理後に焚いてやる。でないと私の意識が朦朧としても困るのでな。これは初夜の娘用だが……、ほかがあまり効かぬようなら気休めに使ってやろう」
 小瓶をデキウスの鼻先で嗅がせると「お前の香りに似ているが?」と笑い返してくる。
「そういう方面に関しては相変わらず頭が良く廻る」
「多少、身体が温かいような倦怠感があるような……気がしないでもないな。で、また手を突っ込むのか?」
 ルベウスは暫くデキウスを横目で見たまま黙っていたが、やがて眉を上げると「聞いておきたいか?」と問い返して、手首をそれぞれ天蓋の柱へと繋いだ。
「不安を煽る言い方だな」
「傷に手は差しこんだりしない。それでは傷口を悪戯に広げるだけだ」
 そして極めて事務的な手際の良さで足首を同じように繋ぐ。それに対して不安を覚えている様子がないのは、お互いの中にある信頼だろう。
「舌も?」
「舌も」
 デキウスは「それは残念だ」と軽く笑うと、始めろというように枕に顔を埋めた。ルベウスはデキウスの位置から見えないところにおいていたガラス瓶を取り出すと、透明の液体の中に浮いている小さな種を鑷子(ピンセット)で摘み上げ、それがすぐに蠢きだしたのを見てデキウスの背に落とした。
 それ自体は今の傷の痛みに対して大きな苦痛はもたらさず、デキウスも何か気づいた気配はない。
 だがそれが背の傷の粘膜に落ちた途端に小さく弾けてドロリとした中身があふれ出し、さらに細く白い根のようなものが何かを探すように蠢く。そしてそれが一つに捩りあわされて組織に潜り込み始めた途端、デキウスは傷に響くのも忘れたように仰け反って絶叫した。
 背の薄皮が裂けて血があふれ出し、わき腹を伝う。
 痛みに対する激しい反応を予想していたルベウスは、デキウスの腰のあたりに馬乗りになり、叫び続けるデキウスの顎関節に容赦なく指で掴んで開かせると、舌を噛み千切らないように口中へ丸い黒檀を押し込んだ。そしてその球の中心を通した柔らかな絹紐を頭の後ろで縛り上げて固定する。デキウスは何をされているのかというよりも、ひたすら背の傷から中に入り込んでくるものに抗うように頭を左右に振り、暴れ、くぐもった叫びを上げ続けた。
 発芽した種子は何を求めているのか心得ているらしく、デキウスの絶叫などで加減することはもちろん無く、何度か細い根を引き抜いては新たな先を求めて潜り込みなおしていく。そのたびにデキウスは咆哮し、シーツは鮮紅に染まった。
 その様子を傍らに椅子に戻ったルベウスが、仮面のような無表情さで見つめる。根の様子がだんだんと血を吸って肉のような色に変り始めた頃、デキウスの絶叫にも変化が現れはじめた。
 口中に噛ませているものの加減で歯を食いしばれない分、悲鳴も堪えられない。その苦痛一色のはずの声に、艶が混じる。
 ルベウスは溢れ続ける血にまみれて、忌々しいほど艶々と成長し、いまは何かを探すようには動かなくなった根のようなものを見下ろし、肩で息をしながらも、目じりを朱に染めて自分を見上げる程度の余裕を取り戻したデキウスと視線を合わせた。
「お前の苦痛に合わせて、快楽を感じる部分へ潜り込む。瘴気を食らって育つアルルーナ(アルラウネ)の一種だ。お前の中に残っている瘴気を見つけたようだな」
 快感と苦痛の綱引きをこの魔草が操り、その間に瘴気と血を糧に短時間で成長する。普通なら宿主は快感に朦朧としている間に血を抜き取られて干からびるのだが、今は体内に瘴気の嚢胞がありそれを糧にもしている。そして干からびるほどの吸血をルベウスが黙って見守るはずもない。
 表面的には触れられていないのに、体内から込み上げるような何かに気づいたのか、身体を捩る動きにも変化が現れる。
 舌を噛み切らぬようにと噛ませたものを外してやり、溢れた唾液で濡れた顎を舐め上げながら労わるように頬を撫でた。
「痛みはどうだ」
「内臓に──手を突っ込まれて……掴まれてるのが上々というなら、それ……だ」
 精一杯の強がった言葉と、汗を滲ませ顔を歪ませた苦笑、そして痛みと快感に翻弄されて声を吐く。
 ルベウスは顔を寄せたまま、汗で濡れた髪を撫でながらこめかみに口唇をつけた。
「あともう一度、激痛が来る」
「ありがたいご宣託だ」
「咥えておけ。歯と舌を損なう」
 不用だ、というように不機嫌そうに頭を振りかけて苦痛ではないらしい息を吐いて身をそらし、そのせいで襲ってくる傷の痛みにまた喘ぐ。いくつも悪態を吐きながら、見えない何かに肉体を性的に蹂躙されているような声を漏らした。
 ルベウスはその隙をついてまたデキウスの口の中に黒檀を丸く加工したものを押し込んだが、翻弄される快感のせいか抵抗らしい抵抗はない。
 腰を持ち上げて浮かせ身をくねらせる様は、確認せずとも体内から無理矢理高められた熱のせいで対象も定かでない欲望のせいだ。
 今はそんなものよりもデキウスの背に成長する真紅の花の蕾に気を取られた。毒々しいまでに赤く脈打ち、開花の一瞬を待ち望むように震えている。花弁は多肉植物のように厚いが透明で、皮膚の下の脂肪を見ているような不快感を煽る。
 ルベウスは己の手のひらを真横に切り裂いて血を滲ませると、その不快な花の蕾を鷲づかみにした。触手のような葉がルベウスの血に気づいたのか、手首ごと包む込むように絡んでくる。
 こちらの目論見どおりに蕾と手が一体になるほど包み込まれたと同時に、ルベウスは大きく息を吸って力を溜め、植物がその意図を察する前に微塵の容赦もなくそれをデキウスの身体からズルリと引き抜いた。
 意識を焼く激痛と抱えきれぬほどの快楽が同時に襲い掛かったデキウスは、天蓋に四肢を拘束されたまま許された範囲で暴れ、腰を振り、血と汗を撒き散らして絶叫し続けた。
 優雅な紗幕を支える天蓋が揺さぶられ、寝台が悲鳴を上げる。
 デキウスの喉からの、力の限りの咆哮が悲鳴に変り、そしてルベウスの手に絡みついた蕾が開いて発する、極めて不快でおぞましい絶叫と重なる。
 サイドボードに置いたグラスの水が振動で揺らぎ、窓のガラスが震えた。
 ルベウスは自身も気が遠くなるような悲鳴に顔を顰めながら、手に絡んだ植物をナイフで切り裂き、燃え盛る暖炉へと放り投げると、耳障りな長々とした絶叫がついに途切れ、デキウスの意識も闇に落ちたのか艶めいた絶叫もぷつりと途切れた。

 


 

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