黒と赤

【10/10】 ルーフェロの夜 1-2 【R-18】

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 デキウスは聖界時代から、現在の七人の大将軍の一人であるエリオーシュとは何かと懇意だった。エリオーシュはバールベリス同様に元上級天使の一人で、60の軍をなす多くの子飼いを抱えており、元々が戦の神で聖界へと招かれただけあって、堕天への選択は当然とも言えた。
 地上で人間の戦いがあれば必ず祈りを捧げられる神であり、エリオーシュの配下であるダークナイトと呼ばれる彼らもまた神であり、一人で人間の兵士千人以上の軍勢に匹敵するといわれる強さを持つ。
 復讐と憎悪を司り、黒尽くめの甲冑を纏う彼らは、誰がどう考えても聖界に相応しくなかったが、双子神はエリオーシュとその配下の神としての影響力の大きさを買って、聖界の軍へと招き入れたのだった。
 攻撃的な闘争心と征服欲や支配欲に溢れた彼らは、エリオーシュの元で躾けられた軍用犬並みに忠実でよく統制が取れていたが、戦いのない時間はその力を発散するために訓練所と娼館を往復するように入り浸っていたので、聖戦が起こらずとも彼らは戦いがより多く楽しめる側を選んで堕ちただろう。
 そして自然と娼館の常連であったデキウスと知己になる機会が多かったのである。
 エリオーシュ自身は残忍さがあるとはいえ、豪放な気質で細かいことには拘らず、平和な退屈さよりも目前の争いを娯楽の糧とし、むしろ知略よりも圧倒的な力の差で相手を凌駕することを好み、彼の部下であるダークナイトたちも程度の差はあれ似た気質で、興味を持ったことには酷く凝り性だった。
 なので楽しいことには潔いほど貪欲で、魔族の討伐と成ればひときわ生き生きとするデキウスとは馬が合ったのだった。
 エリオーシュは自分の子飼いのようにデキウスを可愛がり、旧神とはいえ自分より下位にあたるデキウスが敬語を使わぬことを許すほど親しくしていたのだが、一方でどうしてもエリオーシュの気に添わないことがあった。
 それがルベウスの存在である。
 エリオーシュと五神の一人であるシャリートの関係は良好であったが、シャリートがあらゆるところに放つ子飼いの存在は快く思っていなかった。エリオーシュにすれば間諜であり、自らが剣を取って戦う立場からすればとうてい歓迎されざる存在だからだ。もちろんその重要性をわかっているが、気質的に相容れない存在だった。なのでデキウスがシャリートの寵愛厚いルベウスに何かと興味を持っているという噂を知っても、噂に過ぎないとして事実にあらずと受け入れてなかった。
 ルベウス自身の仕事に対する有能さはわかっているが、その彼の仕事内容に房事が含まれていること、そして目的や手段としてそれを躊躇い無く使うことが気に入らず、揶揄をこめてルベウスのことをわざわざ『子飼い殿』と呼ぶほどだったが、ルベウスの方はそんな反応のされ方に慣れているようで、特に何かを思っている様子はない。
 エリオーシュにすればそれがまた可愛げがない反応だった。
 やがてルーフェロが魔界へと降臨する堕天がおこり、エリオーシュたちもそれに従い、彼自身は羽毛の翼を失って皮膜の翼となる代償を払ったものの、いちはやく旧神であるルーフェロとシャリートの元へ馳せ参じた。
 聖戦の終結後は魔界の大混乱期でもあり、友人知人の生死を確かめることすら大変だった中、シャリートの命をうけて自由に動ける身であったルベウスの調査活動は目覚しいものだった。
 ルベウスの働きは素直に賞賛に値すると思うのだが、ここでまた一つエリオーシュにとって不機嫌なことが増えた。
 デキウスの行方も生死もわからず、十年以上も情報を求めていた矢先のことだった。よく考えれば、聖界でも自分たちを除けば唯一と言ってもいいほど親しくしていたらしいのはルベウスだ。その彼に尋ねればよかっただけなのだが、親しくあって欲しくないというつまらない意地がルベウスに尋ねることを遅らせたのだった。
 旧神など大勢堕ちたのだから、混乱冷めやらぬ中でその一人の行方など個人的な感情と興味で探すのは褒められたものではない、というエリオーシュの生真面目さでもあった。
 ある日、魔界の新たな位階として七将軍に任ぜられた者たちが集まって、いまさらながらの無事を喜びあって歓談を楽しんだ時間のあと、共に酒を飲んでいたシャリートが旧神以上の消息はほぼ掴めたと思うという話をしたことだった。
「ほぼ、というと中級天使も含まれますか?」
 同じ七大将軍とはいえ、相手は旧五神の一人である限りエリオーシュにとっては永久に上位の神に変わりはない。その堅苦しさにシャリートは物柔らかに微笑を返した。
「いかにも。誰か探している者がいるのか?」
「あ、いえ、私情でそんなことをお尋ねするのは……」
「気にかけたい相手がいるとは恵まれているではないか。誰ぞ?」
「ではご厚情に甘えさせていただき、旧神の一人の生死がわかっているならばぜひとも教えていただきたく──」
 そしてその名前をそっと耳打ちをすると、シャリートは面白そうに眉を上げて、「ルベウス!」と部屋の隅に控えていた子飼いの一人を呼びつけた。
 よりにもよってこいつか、という視線を不躾に投げながら、礼儀も態度も申し分のない子飼いを見遣る。
 翼の消失のダメージを理由にまだ公の席に姿を見せていない七将軍の一人であるバールベリスも、ルベウスだけには面会を許しているというのだから、それもうんざりする理由の一つだ。バールベリスの性癖は聖界時代からよく知っており、彼もまた自分たちとは対極の知識で闘う神であった。どうも頭脳派とはなかなか折が悪い。
 シャリートがルベウスに耳を貸すように合図し、身を屈めた彼にまわりには聞こえない程度で何か囁くと、ルベウスも従順に頷いてエリオーシュをちらりと見る。そして目を伏せてエリオーシュに無言で従順な一礼をすると、その場を辞した。
「お尋ねのものは堕天の折、翼を失う怪我を負い、未だ療養中であると」
「おお、それは喜ばしい知らせでございます。では何処に?」
「辺境に建つ仮住まいの城だ。そこからルベウスは私の元へ仕えに来ている」
 子飼いが誑かしたのか、という考えが一番最初に脳裏に浮かんだ言葉だった。実際のところデキウスの性癖もお世辞にも貞淑や潔癖とはいえないのだが、欲望に無邪気なだけだと信じているエリオーシュからすれば、政治的にも閨房的にも手練手管に長けたルベウスなど、虫を誘い込む毒花にも等しい感覚なのだ。
 もっと早くに見つけ出して、自分の下で介護してやれればよかったと思いながらも、とりあえずは命を繋いでくれたルベウスに感謝の気持ちも失わないあたりが、エリオーシュの義理堅いところだった。

 さらに時は流れ、『ルーフェロの夜』が開催される頃にはデキウス自らがエリオーシュの元を訪れて旧交を温めることも、彼の遊び半分の冥界への狩りに同行することも増えた。娼館を貸しきってダークナイトたちと愉しむのも以前と変わらない。そして拠点を聞けば、相変わらずルベウスと一緒に暮らしているという。
 エリオーシュとて弟のように可愛がっているとはいえ、交友関係にあれこれと口を挟むつもりはなかったが、さすがにもしも自分の普段の発言から不快にさせては、と「恋人なのか?」と確認のために聞いてみた。すると少しの迷いもなく、バカバカしいという笑いまで添えて、デキウスにあっさりと否定された。
 聖界時代からの腐れ縁みたいなもんだ、と。
 エリオーシュは単純にその言葉を信じることにした。そのほうがあらゆる点において自分の感情的にも良かったからである。
 そしてデキウスは『ルーフェロの夜』には共にダークナイトたちと組んで剣のトーナメントに参加し、剣舞を披露して宴を楽しんだ。
 背の傷はすっかり癒えており、己の欲望のままに殺戮でも快楽でもなんでも楽しめ、興味が向けばあらゆることを制限なしに楽しめる状況は、デキウスにとっても充実した環境だった。
 そして何より、ルベウスを欲しいときに欲しいだけ貪ることができる。
 聖界時代のように、堕ちるだの穢れだのいった縛りはもう何も関係がない。
 その自由さで飽きるまでお互いを求め合い、飽きるよりも先に体力の限界がくる日々を送っていたが、それが誰かの不機嫌の理由の一つになろうとは思ってもいなかった。
 『ルーフェロの夜』は主催がシャリートであるため、必然的にルベウスが社交に借り出されることが多い。そこにはもちろん寝所での親交もあり、さらには新たにその交わりを求めるものもあり、デキウスも仕事ではなかったが同様の誘いが引きも切らず、二人で宴を楽しめる時間と言えば疲れきって倒れるように眠りに就く寝台だけという有様だった。
 なのでお互いが寸暇を惜しんで、逢引のように息抜きを求めてすれ違うときに合図を送りあい、短い逢瀬を愉しむ時間を捻り出した。
 だが今宵、デキウスが次の約束までの短い時間の空きに通りすがりのルベウスを掴まえて適当にもつれこんだ部屋は、二人ともいつも以上に迂闊だった。黒鳥城はいくつもの小部屋があって、密談や密会できるようになっているが、ここは仮眠室と休憩室が繋がった小部屋で、休憩室には頻繁に人の出入りがある。二つの部屋の間には扉があるものの、どちらの会話もほぼ聞き取れる程度だ。そして次の約束のためにデキウスが落ち合う部屋の隣でもあった。
 立ったまま性急にことを済ませるほどのこともあるので、狭いとはいえ仮眠室ならばベッドがあるという判断はよかったのだが、すでに扉を閉ざして焦れたようにお互いの服を乱し、噛み付くキスを貪っていたときに聞こえてきた声は、一瞬二人ともを我に返らせた。
 エリオーシュとダークナイト数人の声だ。次にデキウスと会うのまで半刻もなかったかと確かめ合っている。つまりはこの逢瀬もそれまでに済ませてしまねばならない。
 エリオーシュがルベウスのことをどう思っているかは二人とも承知していたが、だからといって目を避けることや彼の前で距離を置いたことは無い。今も別に知れても構わないという程度だったが、何も知らぬ彼がこちらへ踏み込んでくるのはお互いありがたくない状況だ。
 とは言うものの今さら部屋を移動するほど二人に余裕はなく、ルベウスが早くしろというようにデキウスの襟元を掴んでくる。デキウスは闇を這わせてかろうじて部屋の間の扉の錠を下ろし、ルベウスを狭い寝台に押し付けて下肢に纏うものを脱がせた。
 隠しようもなく欲情した熱よりも、デキウスを見つめてくる薄蒼の眸のほうがあからさまに扇情的で熱く激しい。そして不機嫌に早く頂を見せろと要求している。
 これほど凄烈かつ性急に求め合うのは、聖族時代に討伐を早く済ませて、残った時間を廃墟で交わったことを思い出させて、思わず笑いが込み上げる。
 ベルトを緩めてすでに痛いほどに反り返ったおのれをルベウスに触れさせ、それの約束する快感に唇を舐める表情を愉しむ。
 己を受け入れる場所を解す時間さえ惜しんで、性急としかいいようの無い態度でルベウスの足を抱え上げ、膝が胸につくほど開くと、非難めいた視線と苦笑がルベウスの唇の端に浮かんだが、次の瞬間には痛みに漏れる声を堪えるために自分自身で口許を覆った。
 ルベウスが反対の手を頭上に上げて柔らかな枕に指を埋める勢いで掴み、デキウスが己の中に入り込んでくる苦痛をやり過ごそうとする。肩で大きく喘ぎ、青白いほどの肌に赤みが差して、目元を染めた。それでも腹を打つほどに屹立した熱は衰えず、それどころか先走りを滴らせている。
 上半身は上品な仕立てのシャツとジレを纏ったままで、白い腿の裏をデキウスの視線に曝し、欲情を隠さぬ眼差しで自分を見上げてくるルベウスは、それだけでもデキウスを他では感じない熱さで満たす。
 漏れる声をおのれの手で堪え、濡れた目を眇めて斜めに見上げてくるルベウスに、デキウスは半ばで諦めた前戯と同じく苦痛に対する配慮を棄てて、昂ぶった楔を最後まで穿った。
 ルベウスの眸が大きく見開かれて口を塞ぐ指の隙間から声がこぼれ、枕を掴む手に力が入って骨が浮く。
 二人の時間もないが、こんな顔で煽られてはこちらの時間も磨り減るばかりだ。今は長い快感を探りあうよりも、限界近い欲望を早く吐き出したいことに意識が行く。
 そしてそれは全身を揺さぶる抽挿の激しさとなり、ルベウスと自分自身を追い上げにかかった。ルベウスは自分自身で嬌声を耐えるのは無理だと判断したのか、デキウスの背を抱き寄せて服の上から歯を立てる。
 小さな牙が布を貫いて皮膚に触れ、その痛みがデキウスの欲望を加速させた。
 隣室のエリオーシュらの談笑の声が大きいのがせめてもの救いだ。
 それでもふと会話が途切れたときに、声が漏れれば隣室で何が行われているか知るだろう。それはルーフェロの夜では珍しくもないので構わないが、誰と誰がと知れるのが今の二人の問題だ。
 限界が近くなり、ルベウスは肩から口を離して頭をのけぞらせ、空気を求めて喘ぐように一つ濡れた声をあげ、そして果てた。
 心臓の鼓動の一つか二つ遅れて、デキウスがルベウスの中に吐精する。そして二人とも喘ぎながらも隣室の会話が途切れていることに気づける程度の余裕はあった。視線を合わせて肩をすくめて、笑い交わす。
 デキウスは整わぬ呼吸のまま身を起こし最低限の服装を整えると、寝台で胸を上下させているルベウスの唇にひとつキスをした。デキウスの髪に指を差し入れて、乱れた髪を整えてやる。デキウスはもう一度名残惜しそうにくちづけた。
「夜に」
 ルベウスは返答の代わりに手を軽く上げると、慌しく出て行くデキウスの背を見送った。
 ルベウスには次の約束がないとはいえ、ジレには己が放った精が飛び散り、下肢からはデキウスの名残が腿へと伝い落ちる不快に、身を起こした。隣室の休憩室からのひそひそとした声が漏れ聞こえる。
 この部屋で何が行われているか察したのだろう。ルベウスは鼻先で笑うと身を起こし、ジレを脱いで上着とまとめ、自室までつくろえればいい程度の服装を整えると部屋を出た。


 隣室からふいに会話の空間を貫いて聞こえてきた嬌声に、エリオーシュもダークナイトたちも意味ありげに視線を交わした。
「隣はお愉しみのようだな」
 エリオーシュが眉を上げて笑う。彼らは性に貪欲で大らかなので、この宴の間も自ら進んで閨房の饗宴に顔を出すほどだ。
「随分と良い思いをさせられているのでしょう。啼く声がそそる」
 ダークナイトで両刀を自他とも認める男が笑う。
「俺は同性の良さはさっぱりわからぬがな」
 エリオーシュが空いたグラスを掲げると、ダークナイトの誰かがすかさず酒を満たした。
「デキウスはまだか」
「今宵、シャリート殿の命で覚えた踊りを披露するらしく、最後の練習に行くと申しておりましたが。まもなく参るでしょう」
「多忙なことだな」
「ああ、来たようです」
 エリオーシュをはじめ、その場にいたダークナイトたちの視線が入り口に向けられ、デキウスの表情を見て全員の顔がしたり顔で笑った。
「いかにも、今しがたベッドから出てきましたという顔をしている」
 エリオーシュの揶う言葉に、デキウスは遅刻を注意された子供のように頭をかきながら笑う。ダークナイトの一人がよく鍛えられた筋肉の持ち主ゆえのしなやかな所作で立ち上がると、デキウスの曲がっているタイを直してやりながら「そういう踊りの練習なら付き合わせてもらったのにな」と最後に肩を軽く小突いて、内緒話をするように「花の香りの君か」とこっそり囁いて鮮やかな青い目で悪戯げに笑った。
 デキウスは体の厚みも筋肉も上背も恵まれてあるほうだが、ダークナイトたちに囲まれると小柄にすら見える。彼らは普段纏う甲冑や武器は漆黒だが、それを脱いだ姿は色素の薄い肌と、同様の色が抜けたような金の髪を短く刈り込んだ容姿が多い。さらには戦場では鬼神のごとく容赦も情けも見せない彼らだが、こうやって目の前にいる姿は魅力的な微笑を備えた穏やかな男たちだった。
「ダンスとやらの出来はどうなのだ? 最後の曲は特別な相手と踊るものらしいが、お前が誰と踊るのか楽しみだな」
 エリオーシュは豪快に笑うと、およそダンスなど不恰好な見世物に関わりたくないものだと言う様にデキウスに同情の顔を向けた。そんなエリオーシュも数年後には堂々たる踊りを見せるのだが。
 ダークナイトたちが無言で困ったような視線を交わす。
 わが主人は、デキウスが誰と入れ替わり踊ろうが必ず選ぶ相手がいることを未だ気づかぬふりをしている。おそらく今宵それを目にして、また憤然とやるかたない不満を口にするのだろう。
 その夜、エリオーシュの物見高い期待とは異なり、デキウスは紳士淑女の視線を釘付けにするだけのあでやかなステップを踏んだ。軽やかに、そして誘惑するようにしなやかに、目を引くほどに華やかに自由に踊るデキウスに、エリオーシュはそれを仕込んだ人物を褒め称えた。
 デキウスが優雅なステップで少しも不自然さなく広間を移動して、最後に選んだ相手に呆れたように瞠目したものの、ダークナイトたちからルベウスがこのダンスの面倒を見ていたのですよ、と言われても先ほどの賞賛は取り消さなかった。
 二人の関係がどうであれ、信頼と敬意をもって相手に己を捧げるような空間を作れる者の円舞を邪険に罵るような無粋さは、エリオーシュとて持ち合わせていない。
 ただ少しかばかりの残念そうな溜息と、とうとう突きつけられた真実を諦めるように苦笑した。

 

ルーフェロの夜に 1-2