黒と赤

お題:僕だけが知っている

 

「違う、手の位置はここだ。変な手つきで撫でるな」
 極めて不機嫌そうな表情で、ルベウスが言い放つ。

 魔界の社交の中心から離れた城には、一体何のために設けたのかわからない広い舞踏室のような部屋があり、天井は鏡面のようなヘマタイトが張られ、オブシディアンの壁面も姿を映すほどに美しい。何十組もの踊り手が楽に舞踏を楽しめるであろう空間の片方は、すべて崖下を見下ろすかのような大きな窓だ。巨大なサンルームとでも言えそうだが、普段は単なる部屋から部屋への通路として使われているのみだった。
 そこでお互いの右手と左手を取り、ルベウスはデキウスの肩に手を、デキウスはルベウスの肩甲骨に手を添える舞踏の基本姿勢で立っていた。
「何度も言うが、礼儀正しく慎ましやかに触れる程度でよい」
「相手もそんなことを期待して無い場合は?」
「口を閉じろ」
 容赦ない遮断に、デキウスはニヤニヤと笑う。
 ルーフェロの夜に舞踏の時間が設けられたのは最初の夜からだった。その時はごく一握りの高位魔族が余興的な剣舞を披露したり、一方で優雅な音楽にのせてパートナーを披露する場で、大半の参列者は眺めていればよかった。
 それが一年後には半数の貴族が参加し、瞬く間に増え、さらに舞踏の時間も一度きりではなく、夜毎に増えていった。
 そして今年からは最後の夜は特別な相手を選んで踊るのだという。身分的・政治的であれ、伴侶であれ、『特別』の意味の縛りは無いが、そこで踊った相手は特別な意味があることを廻りに無言で教えることでもあり、相手へのアプローチだった。
 もちろん相手に拒絶の権利がある。それだけに予期していない相手からの申し込みを楽しむ余興でもあった。
 ルベウスは主人から最初の年に一通り教授され、持ち前の飲み込みのよさで誰が相手であれ不自由なくこなすことができたが、デキウスはまったく覚えようとしなかったまま今日に至る。

「申し込む御婦人に恥をかかせぬ程度には覚えさせろ」

 というのがルベウスの主人からの命でもあったのだが、今日で三日、まったくもって芳しくないのは、デキウスに覚えようという意欲が致命的に乏しいからだ。

 ホールドの美しさが最初の基本だが、そこですでにデキウスは背を撫で回し、腰に降りて、最後は尻を撫でて来る。ステップを踏めば、足をたまに踏むのは許せても、過剰に下肢を押し付けて来るのはいただけない。ベッドでのダンスならばいいだろうが、あまりに扇情的すぎるのだ。
 ルベウスは溜息を吐くとこういった。
「ソフトに、相手に自由に動かせる部分をやる、そして綺麗に見せてやる、それを意識すれば何とか見られるホールドになる。女性を引き立てることを考えろ」
「相手が女性じゃない場合は?」
 デキウスの面白がる質問に、「同様だ」とむっつりと答えた。
「お前が覚えない限り、同衾しないぞ?」
 ルベウスがデキウスの顔を覗き込んで、片方の薄蒼い目で見上げて囁いた。
「それは横暴だ」
 間近になったルベウスにキスをしようとして、右手で口を塞がれる。
「本気だからな」
 軽く睨んで来る相手の手のひらを舌でたっぷり濡らすと、手が外された。
「では逆に完璧にマスターしたら、褒美を期待してもいいわけだな?」
「好きにしろ」
 ルベウスが淡々と応じる様子にデキウスは口端を上げて笑うと、その手を恭しくとって一礼した。視線をルベウスにあてたまま、指の関節に唇をつける。

「踊って頂きたく」
 ルベウスが顎を上げて、斜めから高慢な視線の端でデキウスを見た。
「及第点をやるまでは、せいぜい励め」
 そういってデキウスの肩に手を添える。
 眼差しを絡めると、デキウスのリードで滑るようなステップの一歩を踏み出した。
 鏡面のような壁に、長身の二人がいくつも映し出される。

 結局、三日間のレッスンはなんだったのだと思うほどデキウスはあっさりと覚え、夕刻にはルベウスも満足できる姿に仕上がった。
 これほどの努力を惜しまぬのは滅多となく、それほど自分が欲しいのかと思うと笑いがこみ上げる。
 何だ、とデキウスが頬に口付けてくるのを口唇で捕らえ、「そんなお前は私しか知らぬな」と含み笑うと、デキウスの腿を撫で上げて最後に熱を孕もうとする場所に軽く触れた。
 着ているものを性急に脱がそうとするデキウスに「ここでするのか」とルベウスが喉奥で笑いながら、天井に映る自分たちを見てデキウスの頭を抱き寄せて髪を掻き混ぜた。

 ルーフェロの夜、自分が選んだ衣装を着たデキウスが賞賛の目を集め、恐らくは完璧で目を惹くほどの美しい舞を、誰かと見せてくれるであろう姿を夢想しながら――。
 


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