黒と赤

『約束』(ぬるめのお題012)

デキウスの広すぎる城の一角に、広すぎる住まいに相応しくどうでもいいものばかりが詰め込まれた部屋がある。物置と呼ぶにはよく手入れされており掃除も行き届いているが、本来使われてこそ意味のある家具や道具が無造作に置かれていた。
 その部屋から何かの楽器を奏でる音がぽつぽつとする。
 ウェルギリウスが耳にしたことの無い音だが、不思議と心地よい。
 入ることを禁じられている部屋ではないので、半開きになっている扉からそっと中を覗いてみた。
 雑然とした感が否めないほど物が置かれた部屋の中で、ひと際存在感のある黒が目を引く。屋根のようなものがついており、それが蓋のように持ち上げられ、白と黒が綺麗に並んだ前に長い金髪に手の込んだ深紅のドレスを纏った十歳前後ぐらいの少女が座り、足をぶらぶらさせていた。
 小さな手をその白と黒に載せると、ウェルギリウスが聞いた音が生まれるのだ。
 あまりに自分の日常とかけ離れた光景に、どうすればいいのか困惑したまま目を離すことができない。
 来客など滅多とない屋敷に、さらに目にしたことの無い少女だ。誰かが無断で入り込むなどできない場所なのだから、デキウスの知己には違いあるまい。
 彼女はいくつか音を出すと椅子から降り、踏み台に乗って蓋の中を覗き込み何か作業をすることを繰り返していた。
 ウェルギリウスはとうとう我慢できなくなり、「おまえ、誰?」と声をかけた。
 少女が振り返る。
 窓からの光を浴びて、この城に似つかわしくないほどまばゆい金髪に、完璧すぎる人形のように整った顔立ち。薔薇の花びらのようなふっくらと紅い唇に澄み渡った湖面のような蒼の瞳が美しい。両の特徴的な耳を見れば、彼女がエルフであるとわかる。エルフゆえの人ならぬ美貌ならば納得できた。
 だが彼女は振り返ってウェルギリウスを見ても驚きも微笑もなく、猫のようにじっと視線を据えたまま椅子から降りるとこちらへやってきた。
「レジーナ」
 エルフと言うものはこれほど無機質なのか、とたじろぎそうになる。
「何をしているんだ?」
 どこの誰だとかどうやって来たのかと尋ねたいことは山ほどあったが、とりあえず一つだけにする。
「ピアノの調律です」
 ウェルギリウスはピアノという単語に聞き覚えがあったが、記憶なのか書物で読んだのか曖昧だ。
「弾ける?」
「ご要望であれば」
 レジーナはそういうとピアノのそばにもどり、もう少し何かを調整してから椅子に腰掛けた。
 鍵盤に繊手を置いたまま何か思案しているようだ。
 ウェルギリウスは音楽の曲名などわからなかったので何を頼めばいいのかわからない。
 だがやがて彼女の指先からゆっくりと優しい旋律が紡ぎだされる。
 それは己の置かれた日常をひととき忘れさせるほど非日常的で、曲が終わるとこの部屋すらが薄暗くなったような気がした。
 もっと弾いてくれと言うと、少女は黙って頷いてまた単純だが美しい調べを奏でる。

 ルベウスはレジーナの調律が終わるまで、書庫の隣に勝手に自室にした部屋で書物を片手に寝椅子に腰掛けたままうとうととしていたが、ふと腹のあたりへの圧迫で目を覚ますとデキウスが軽く跨って顔を覗き込んでいた。
 それよりも旋律が漂っていることに驚く。
「命じられもせず曲を奏でるとは驚きだ」
 身を起こそうとして、デキウスにゆるく肩を押し戻された。心地よいクッションの山に戻され、軽く睨んで見上げる。
「我が家の犬が運悪く見つけたようだぞ。音楽に興味を持つとは思わなかったが」
デキウスは楽しげに笑うと、胸を重ねて体重をかけながらルベウスの喉の突起から顎を舐め上げた。そのまま鎖骨に顔を埋め、匂いを楽しむように鼻を摺り寄せる。さらに手が服の上から下腹部へと下りていった。
「アレがいつ傀儡(くぐつ)だと気づくか賭けないか?」
 デキウスの愛撫と提案に、ルベウスの冷たい視線が応じる。
「悪趣味な遊びだな」
「お前ほどではない」
 熱を孕みかけた中心を捉えられ、ルベウスの手がデキウスの胸倉を摑んだ。
「良かろう。二度と会わぬのなら気づくまい。だが犬は成長する。その時に会えば、傀儡と疑うか、エルフとはこういうものと思うか、だな」
 そういうと、デキウスの下唇を軽く噛むとそのまま甘く吸い、わざと音を立てて離す。
「じゃあ俺はその逆で」
 デキウスがさらにキスを要求するように口を開く。
「何だ、そのいい加減な――」
 ルベウスは舌先で自分の小さな牙先を舐めて見せると、わざと応えずに焦らす。
「音楽の情操教育の時間を犬にくれてやれ」
「随分と寛大なことで」
 ルベウスは馬鹿にしたように鼻先で笑うと、胸倉を摑んだまま姿勢を入れ替えて共に床へと落ちる。デキウスの手がシャツを引き抜き、手を滑り込ませてくるのを感じながら、深いキスで応えた。
 甘いセレナーデが普段ピアノ曲など無縁な屋敷に漂う。

 別室では幼い少年が別れを告げながら、再会した時にまた弾くと約束して欲しいと遠慮がちに言うのを影が聞き、デキウスはルベウスの下で快楽に沈みながら喉奥で嗤った。