黒と赤

お題:「うちの子にエロい顔をさせる」 【R-18】

顔をあげて遠く視線の定まる先にある、発光魔石で彩られた繊細な装飾照明が、一つの汚れもないテーブルクロスの上に置かれた酒のボトルの色のついた影を落とす。枝分かれした照明の先端につけられた微細にカッティングされた発光魔石の数とその色味をそろえた贅沢さといい、おそらく人間の目では判別できないほど高い天井に描かれた絵といい、背丈の何倍ものアーチ型の窓を並べながら室内には外の光が入り込まぬ設計といい、どれもがヴァンパイアたちが統べるナハトメレクに相応しい芸術と配慮だった。
 彼らの美的なものを追求する強迫観念めいた感性は、すさまじいの一言につきる。老いや病からの死を気にせず時間を持て余すのは魔族も同じだが、彼らのこの美しさに対する飽くなき姿勢は独特のものだ。完成に百年や二百年を費やすのは当たり前で、このレストランも建物に百年、内装の美術品に百年をかけたという。
 デキウスには息が詰まる気がしないでもないが、確かに人の手では到底及ばぬものであり、魔貴族たちも好んでナハトメレクの装飾品や家具を買うものが多い。
 目の前の旧友も同じだ。紫紺の申し分のない天鵞絨で仕立てられた上着に、蜘蛛の巣のような繊細なレースをあしらったドレスシャツ、表情の乏しい顔と無造作に撫で付けた漆黒の髪との対比で右目を覆う黒の眼帯すら装飾に見える。残った片方の薄蒼い眸が物憂げに運ばれてきた料理を見つめていたが、その視線が上げられてデキウスを捉えた。
「ここの肉は美味いぞ。お前に言ってもわからないのだろうがな」
 アペタイザー(前菜)すら殆ど手をつけぬまま皿が残されているデキウスに僅かに苦笑すると、ルベウスは銀のカトラリーを手にする。デキウスは好きに食え、というようにグラスに入った濃厚なガーネット色の酒を干して手振りで勧めた。
 聖界時代からエネルギーのためではなく娯楽のために地上の食事を楽しむ輩はいたが、デキウスは一向に興味のわかない趣向だった。だが口にものをいれて味わうこと、舐めること、噛むことは好きだ。言うまでもなく性的に。
 ルベウスが機嫌のよい様子を見せるので、つきあった褒美目当てにたまにテーブルを共にするが、むしろ自分が食事を楽しむというよりも食事をするルベウスを眺めるのが好きだった。
 暗くはない、だが陰影が生み出す美しさを十分に計算された照明の下で、ルベウスの白い手が鏡面のように磨かれたナイフを手に取り、ゆっくりと分厚い肉にその刃を押し入れていく様はどこかエロティックだ。
 肉を押さえるフォークを持つ左手の中指に嵌められた、マーカサイトの指環が柔らかな光を反射し、手の甲に薄く浮いた骨が影を落とす。
 少し体温の低いあの手のひらが、通りすがりにさらりとこちらの頬を撫でてくるのが好きだが、その好きな手がどんな優雅な動きをしてどんな淫らなことを連想させるのかを眺めるのも愉しい。
 ナイフに添えられた人差し指の指先に僅かな力が込められ、付け根の関節と甲を這う血管が浮き上がる。同じ指が自分の唇を割り、潜り込んで口蓋を擽ってくるのが好きだ。
 手元をじっと見ていたことを相手に気づかれ、どこか面白がるような眼差しが投げ返された。
「食べないのか?」
 何度も繰り返された同じ問い。デキウスがようやく馴染んで口に入れることを何とか楽しめるものは少ないが、肉はその一つだ。
「それでいい」
 それ、とルベウスが切りかけている一切れを顎で指す。
 ルベウスは軽く呆れたように眉を上げて「自分で切れ」と言いながらも、口端に薄い笑みを浮かべて、赤い肉汁が溢れる一片を切り離した。
 それをフォークの鋭い先端で貫き、袖口から零れるレースが皿に触れぬように気遣いながら、デキウスの眼前に差し出した。
 マナーから言えば酷く無作法だが、魔貴族がたった二人で貸切にした部屋で異を唱えるものもいない。壁際に立つ躾けの行き届いた給仕など、最初からいないも同然だ。彼らは装飾ですらなかった。
 デキウスは軽く身を乗り出すと、卓上に飾られた花越しに差し出された肉を咥える。そして舌で絡めとると上下の歯でその弾力を楽しむように噛み締めた。「美味いか」
 デキウスの様子を見ながら、ルベウスも次の一切れを自分のために切り分け、口へと運ぶ。
「死肉の味だ」
「生きてる肉を齧りたいなら、捕って来てやるぞ?」
 これも何度交わしたか判らない同じ会話だ。それでもルベウスは淡々とした笑みを浮かべて応じる。
 そんなものはいらない、というように手振りして酒で口の中のものを流し込む。美味いとは思わないが、歯ざわりは悪くない。
 ルベウスの顎がゆっくりと動いて咀嚼し、それを吞み込んで喉が上下するのを眺めているほうがよほど愉しい。そして同じぐらい、手ずから自分の口に食べ物を差し出してくれるのを無防備に迎えるのも愉しい。
 ルベウスは食べ物を口へと運ぶ時にほんの少しだけ、自身も気づいていないであろうぐらい僅かに舌を出す。そして食べものを口中へと導くのだが、殆ど反射的な動きなのだろうが、それがまるで口淫をしようとしているようで、その一瞬が見飽きないほど艶かしい。
 そんなことを指摘でもしようものなら、食事を眺める楽しみを奪われるであろうから、教えないが。
 デキウスの前には片付けられない手付かずの皿が増え、ルベウスの前には最後のデザートが運ばれて給仕は部屋を辞した。
 会話も殆どなく、食器が触れ合う音しかしない静寂の部屋。
 ヴァンパイア向けの、血を隠し味に使ったベリーベースのシャーベットが最後の料理で、甘いものは苦手なデキウスでも少なくともフルーツがベースの甘さはまだ我慢できた。これならまた一匙ぐらいならば相伴できる。
 さきほどと同じように一匙寄越せ、と口を開くとルベウスはまだ手をつけていないそれを見下ろし、軽く眉を寄せると立ち上がった。
 柔らかな絨毯を踏みしめ華奢なガラスの器を手にしてデキウスの横にやってくると、不機嫌にも見えそうな無表情さのなかで唇を上げて笑みを見せ、無言で口を開けろと要求してくる。
 片腕を腰に回してもっと近くに来いと抱き寄せると、冷えたスプーンに乗せられたシャーベットが口に押し込まれ、金属と歯が触れ合ってカチリと音を立てる不快に顔をしかめた。
 そして不平をいういとまもなく、口の中の甘いものは淡く消えてほんのりと血の味が残った。デキウスは特に血に対する嗜好はないが、堕天時に看病された期間にたっぷりとルベウスの血を浴びたせいか、どうせ舐めるなら得体の知れない相手よりも目の前の男の方が良い。
 ルベウスの手にあったスプーンを取ってテーブルに置き、もう一口寄越せというように口を開けると、一瞬本当にむっつりと無表情になってから、にやりと笑った。
 デキウスの意を汲んだように、肉を切るときに添えていた官能的な指でシャーベットを一掬いすると、それが口へと運ばれる。
 デキウスは舌を伸ばし、上目でルベウスを見ながらその指を口腔に迎えた。
 シャーベットを舐めとり、その残りを拭うように指に舌を絡ませ、軽く歯を立てると、ルベウスの目が細められて反対の手でデキウスの髪を混ぜるように撫でてきた。指先が柔らかな内頬を擽り、歯のすぐ後ろの上顎を撫でる。自分の舌でなぞってもくすぐったいそこを撫でられると、単なる快感になるのが不思議だ。
 指を咥えながら喉奥で笑い、さらに腰を抱き寄せた。
 共に取る食事はいつも結局こうなる。
 食事という行為は実にエロティックだ。
 舐め、噛み、舌の上で転がし、溶けるのを楽しみ、混ぜて最後には己の身体の中へと導く。
 口の中でやることと言えば寝台の上でやることと大差ないことだと思うが、人間はそれを複数の人数で同じテーブルにつき、一日なんども楽しむと言うのだから、食事を楽しむ習慣のないデキウスからすれば、ルベウスとの食事の結果がいつも相手の身体に手を這わせたい欲望に変わるのは何の不思議もない。
 髪を撫でていたルベウスの手がしなやかに動き、デキウスの頬を撫でて顎のラインへと辿る。デキウスは指を咥えてその付け根の柔らかなところまで舌で抉りながら、お互い視線を重ねたまま次はどうするのだ、と挑発する。
 デキウスがルベウスの上着の釦をはずしてシャツのすそから素肌に手を這わせると、ルベウスの笑みが一層深くなって身を寄せてくる。
 ルベウスの指先が引き抜かれ、そのままデキウスのシャツの襟元を掴むと身を屈めて唇を塞いできた。
 お互いが食べていたシャーベットの香りが微かに混じりあい、それを奪いあうようにして舌を絡めて貪る。ルベウスの指先から舐めた同じものよりも、ずっと芳醇で美味だ。
 いつものようにルベウスの小さな牙の先に舌を押し付けると、憎らしいほど冷静で淡白だった表情に熱が点った。唇を僅かに離すと顔を上げて眸を覗き込み、ルベウスの肉食獣を思わせる微笑にデキウスは肌の感触を愉しむ様にして撫で回していた手を下肢へと這わせる。
「俺の食事はこれからだ。付き合え」
 そう言ってテーブルに凭れるようにして立たせると、自分は床に膝をつき熱を孕み始めたルベウス自身に口をつけた。
 ルベウスは少し呆れたように笑いながら「いつもこうだ」と呟く。
 上目でルベウスを見つめながら、見せつけるようにしてルベウスの熱を含み、その質量が口中で増していくのを愉しみながら煽る。ルベウスはいつも熱を感じられない眸に昂ぶりを滲ませ、唇を薄く開いて体温の上がった吐息を吐いてそれを眺め下ろしている。
 そして髪に指を絡ませて丁寧に愛撫するように混ぜていたが、ふとそれを掴んで顔を上げさせた。
 口淫をすることに夢中になっていた上気した顔と、熱に蕩かされつつあるある怜悧な顔が近づく。デキウスの唇を塗らす唾液を舐め取るために舌が這い、それと同時に靴の爪先がデキウスの熱が孕む場所を悪戯するように弄った。
「それで俺が達するとでも?」
 デキウスが挑発的に笑ってまたルベウスのものを含むと、「足りない分は自分で補え」と実に優しい口調で親切な言葉が頭上から降ってくる。
 デキウスは視線を上げて笑うと、ルベウスの勧めどおりにベルトを緩めて自分の熱を取り出し、それを自分で扱きながら口中を犯すルベウスの欲望を追い上げ、淫らな水音が室内に響いた。
 デキウス自身を弄ろうとする爪先の力加減が曖昧になるのは、ルベウスの快感が昂ぶっている証拠で、そう感じることがいっそう自分の快感を煽る。先端が先走りに濡れて軽く歯を立てると、ルベウスから乱暴に髪を掴んで顔をはがされた。
 衝撃でテーブルの上に乗っていた食器が、チリチリと音を立てる。
 自分に対する欲情を隠さぬ薄蒼の獰猛な眸。
 これこそが最高のオードブルだ。
 デキウスはその美味さの予感に舌なめずりをする。
 ルベウスが膝をついて同じ視線の高さになり、耳に口をつけて囁いた。
「メインを食う用意は?」
「お前の腕の見せ所だろう」
「では腕によりをかけよう」
 そう言ってルベウスは欲望に染まった眸に不似合いな上品な微笑を見せると、さらに裏腹な性急さと器用さで下半身の着衣を脱がせていく。
 デキウスはそんなルベウスの様子にいつもの得体の知れない満足感を感じながら、彼の手が這い唇が触れる場所を全身で愉しんだ。
 お互いが早く快感の頂に上り詰めたい一方で、そこへの道が少しでも長いことを願いながら、そのジレンマが濃厚な蜂蜜のような愛撫と快楽を生んでゆく。
 肉を切り分けるために鋭利なナイフに添えられていた指が、口蓋を擽った同じ濃艶な指が、デキウスの下肢の肉襞をそっとかきわけて入り込んできて、その甘さともどかしさに思わず漏れる吐息を注ぐため、キスを要求した。
 快感と欲望でどちらの口の中も熱い。
 舌は蕩けるような柔らかさで、本当に歯を立てて噛み切りたいような別の欲望が頭を擡げる。
 
 そして何処までも頭を痺れさせるほど甘かった。
 デザートの何かの上等なシャーベットの何倍も。
 ルベウスの身体から、馴染んだ花に似た香りが立ち昇る。欲望と欲情を伝える隠しようのない芳香。
 そしてこれがどんな酒よりも鼻腔を愛撫するのだと、デキウスは伝えようとしたが、いつもと同じようにそれは嬌声で吞みこまれた。

 ルベウスが最高級の肉料理を待ち望んだ瞬間よりも貪欲に、それを口に含んだ一瞬よりも快感を噛み締め、飲み込んで体内に落としていく喉よりも悦びに笑いながら、ルベウスを心ゆくまで味わった。

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