黒と赤

8 お題『甘やかす権利』 【R-18】

 オディールでは4月に『ルーフェロの夜』という特別な祭がある。これは至高神の双子の弟、ルーフェロが魔界へと下る決心をした際に、付き従った聖族たちが共に冥界へとくだり魔族となり、魔界を作り上げた夜と言われており、あらゆる魔力が増幅される。
 旧五神であり、魔族においては大公爵であるシャリートの守護するオディールの黒鳥城には、4月半ばぐらいから世界各地の地上にいる魔族たちが多く集まりこの日を祝うので、城下も一時のにぎやかさに包また。人間も魔族の仮装をして楽しみ、住人たちは庇護をもたらしてくれる城主に感謝し、贅沢な料理を作って祝うのだ。同時に魔術を志す者にとっては、秘術の契約のできるチャンスでもあるので、内外から多くの魔族と人間が集った。
 祭の最高潮は4月30日であり、0時に城から魔界へと結ぶオベリスクで移動し、ルーフェロに敬意と忠誠を新たに誓うのだが、彼らはその前の2週間ぐらいから社交を楽しむために集い始めるので、オディールは半月ぐらいの浮かれた空気に包まれるのである。

 ルベウスは平時に城代を務めることが多いのが、この時期はさばく客の数が多すぎるので、主人が魔界より連れてくる使用人たちが切り盛りする。なので接待する側として心を砕くこと半分、客として社交と交友に勤しむことが半分で、他の客が訪れるよりも数日早くから黒鳥城内に与えられている自室に滞在していた。
 このときばかりは普段、社交的なものを面倒がるデキウスも同行するのだが、そのための衣装を調えるのもルベウスの愉しみだった。今年は城内で着る普段着になる礼服が十数着のほかに、城主の前で奉納する剣舞の衣装、少し砕けた集まりのためのフォーマルすぎない衣装などにはじまり、領地内での狩猟、剣の交流試合、そしてクライマックスの舞踏から魔界へと赴くときの格別の衣装までの場面に応じた数多くが必要だ。もちろん事前に手配して、すでにクローゼットに納められている。
 まだ公に幕があけていないものの、城内にはちらほらと逗留客が到着し始めているので、デキウスはフォーマルすぎないが上質の生地で仕立てられた衣装を無造作に着崩して、自分なりに楽な普段着にしていた。
 気楽な顔見知りがいれば酒やゲームに興じるのも、この時期だけに二人がこなす社交だ。ルベウスが城内の様子を見回るために、時折すれ違う客に会釈しながら歩いていると、扉を開け放たれた娯楽室から賑やかな手拍子と歓声、そして楽の音(ね)が聞こえてきた。
 中を覗くと、この時期に小銭を稼ぎにやってくるエルフの吟遊詩人が二人と、デキウスがヴァイオリンの複雑なフレーズを弾き競っている。エルフ族は生まれながらにして抜きに出た芸術の才を持っており、それは音楽でも絵画でも建築でも惜しみなく発揮されているで知らぬものはいないが、そんな天性の才能を持つ二人を相手に、デキウスは実に楽しそうに髪が乱れるのも気にせず音を奏でている。
 最初はどこぞの酒場か高級娼館の技芸に習ったのだろうが、デキウスにはピアノよりも向いていたようで、酒が入り気の置けない知人たちが集まると、即興でその場を盛り上げる音楽を披露し、それがいつも歓迎されていた。
 魔貴族たちからすればまさに場末の芸なのだが、舞踏会や演奏会で耳にする楽器と同じものが奏でているとは思えない軽快さと情熱で、耳を犯してくるそれを楽しめるのも魔族たちだった。
 ルベウスがその競いを扉に凭れて見ていると、デキウスと視線が合う。彼は一瞬の視線の絡み合いでルベウスにしかわからない程度の合図を投げ、部屋にあるピアノを弾けと促す。
 この状況でか、とルベウスは肩をすくめて苦笑しながらも、誰もがデキウスたちを注目している部屋を横切り、誰にも気付かれぬままピアノの前に座ると鍵盤に指を添えた。
 そしてデキウスの合図を待つように見つめ、彼がエルフたちの鳥のさえずりが重なったような細かく早い音の連なりに根を上げて笑い、降参だというように両手をあげて勝負に喝采が起こった。エルフたちへの賞賛が落ち着いたのを合図に、今聞いた同じフレーズを耳に心地よい程度の速さに落としたアレンジで鍵盤から紡ぎだす。
 ルベウスは耳から得た音を正確に楽器でなぞらえるのは得意で、デキウスはすぐにその音楽に応えて彼なりの旋律で色を添えてきた。
 競り合う音ではなく、一転して軽やかで落ち着いた音が室内を満たす。いつの間にという驚きの視線が多くルベウスに向けられ、音楽の楽しみが続いたことを喜ぶような空気が漂う。
 ルベウスが鍵盤から生み出す音は透明で硬質で、いまデキウスとエルフたちが作り上げていた世界とは全く異なるにも関わらず、デキウスのヴァイオリンの音が重なっていくとそれが溶けていくように華やかさを増している。
 音に艶と言う例えがあるように、ルベウスの奏でる旋律は転調するとしっとりとした甘やかさと匂いたつような艶を綻ばせていき、デキウスの軽快でアグレッシブな音をむしろ煽っていく。デキウスの音はさらにそれを受け止めて甘やかすように転がし、次のフレーズへと投げ渡す。
 アレンジを加えるたびに視線で合図を交わし、次についてこれるかと唇に浮かぶ笑みで挑発する。相手を翻弄することしか考えていない音の選びは次第に熱を帯び、重なった旋律はすでに溢れ零れる情熱の奔流のようだ。
 アレンジ続きの曲の終焉を迎えるときは、奔流の勢いはゆったりとした流れに変わり、最後の一音は清冽な湖面に落ちる一滴の雫となり、共に余韻を残して幕を閉じた。
 再び室内に喝采が満ちる。
 ルベウスは立ち上がると静かに会釈で応え、こちらにやってきたデキウスが敬意を表して指先にキスをするのを見つめる。その返礼に軽く抱擁すると、デキウスが「引き上げるぞ」と囁いた。客たちはさらに次の曲を弾いてくれと歓声を上げているが、それを無視するようにルベウスの腰を押して部屋を出ようと促す。
「望まれてるぞ?」
 ルベウスが笑いを含んだ声で囁き返すと「お前のせいだ」と言いながら、自分の親指の指輪にキスを落とす。
「それに関しては同感だな」
「だろう?」
 デキウスは振り返ると、自分たちにまだ拍手をして次を求める聴衆に「また今度埋め合わせする!」と笑いながら答え、あとを頼むとエルフの二人に託した。

 もつれこむように隣室の空き部屋に入ると、鍵をかけるのももどかしげにその場でお互いを脱がし始めながら噛み付くようなキスを交わす。バランスを崩して床に倒れそうになりながらも、なんとかカウチへと移動した。ルベウスがデキウスの膝に乗って乱暴にシャツを脱がしていく。
「煽りすぎだ」
 ルベウスが憮然とした声にもかかわらず、薄蒼の目を欲望で昂ぶらせながらデキウスを責める。 今までも何度か音楽で煽りあって情欲に火がついたことがあるが、今のように聴衆がいる場面でというのは滅多となかった。そこまでお互いに没頭できないからだ。
「応えるお前も悪い」
 デキウスが笑いながらルベウスの尾錠(バックル)を緩めて、十分な堅さと熱さを帯びた欲望を掴むと、ルベウスは一瞬息をつめて目を細めながらデキウスを煽るように見つめる。そして自らも手を忍ばせてデキウス自身に触れた。
 膝から降りて熱を含もうとするルベウスの腰を抱き上げて引き戻し
「では今度はお前のペースでどうぞ?」
 と囁く。
 意味は知れている。
 ルベウスは軽く睨むとデキウスの口中に指を差込み、唾液で濡れたそれで相手の熱に触れて先走りの液体と混ぜる。デキウスが同じようにルベウスの舌を指先で弄び、滴るほどに濡れたそれを己の熱を受け入れる場所へと挿れると、ルベウスの背が撓り、目をじっと見つめたまま焦れたように眉を寄せた。
 内部を柔らかく掻き混ぜるような動きにあわせて、時折うすく開く唇が物欲しげだ。視線を逸らさぬまま腰が緩く動くのは、快感の強い場所を追いかけているようで、無意識の誘いのようだった。
「煽られるのはお前だけだ」
 ルベウスは唇の端を吊り上げて笑うと甘えたように耳元で囁き、デキウスの手を捉えて抜くと、屹立したデキウスの熱を自身の体重をかけてゆっくり呑み込んでいく。
 時折呼吸を整えるように吐き出す息すら艶めかしく、デキウスは肩をつかむルベウスの指先の強さで快感を得られる状態か測っていたが、あまりにも呑み込んでは締め上げてくる内部の強い感覚に、残りの僅かを腰を掴んで力任せに貫いた。
 ルベウスの苦痛と快感が混じった嬌声が溢れ、デキウスの肩の筋肉に容赦なく歯を立てるが、デキウスには痛みすら快感を更に煽るだけだ。こちらのペースを乱すなと詰るルベウスを苦笑まじりに宥めて背を撫でながら、今度は落ち着くまで待つ。
 やがて柔らかく濡れた唇が押し付けられ、舌先が潜り込んできたことを合図に、お互いのより深い快感を求めて貪り合いを始めるのは、あたかも先ほど二人で奏でた音楽のようで、どこまでも探りどこまでも煽り続けることに飽きない。
 零れる声や肉を打ち液体が粘膜を擦る音すら耳の快感で、理性を犯す。
 お互いに染まるほど酩酊しながら、昇りつめては快楽の水底に沈むことを繰り返し耽溺することを止められず、飽きず、また焦れたように求めたくなるのだ。
「デキウス……」
 とルベウスが名をうわごとのように耳に口をつけて囁いて、廻した腕に力をわずかに込める。
 ただそうされただけで、体の内側からじわりと体温が上がる気分になる。
 他の誰でもなく、腕の中にいるこの相手だけに。
 同じように名を呼び返すと、ルベウスの体から立ち上る花の香りと、デキウスを捉えて離さない場所が奥深くで歓喜するように応える。
 二人は押し上げてくる快感の頂を惜しむようにひたいをつけて悪戯げな微笑を交わすと、相手をその快感の向こうへ押しやろうと奔放に欲望を躍らせた。

甘やかす権利