ルーフェロの夜は夜毎の舞踏のほかに、親しいものや新たに交流するための場がいくつも設けられる。地上における政治的な駆け引きはもちろん、魔界での力関係が無視できない場所だ。食事や酒の相手、果ては閨の相手になるかは当人次第で、気楽な社交場というには少々敷居が高い。
そんな場所に出なくともデキウスの周りには一夜の快楽目当てで群がる紳士淑女が絶えず、彼自身も相手をするのはまったくもってやぶさかではないのだが、連日力と欲にまみれたずしりとした濃厚な味わいを楽しんでいると息抜きが必要だった。
ルベウスとデキウスに与えられている居室は他の客間とは違い、平時にも仮の滞在場所として長く使っている二間続きのコネクティングルームだった。間の扉を閉ざせばそれぞれの個室としても使えるようになっているが、そうやって使ったことは数えるほどしかない。
デキウスがその部屋に戻ると、ルベウスの上着が椅子にかけてあった。奥で水音がするので、手か顔でも洗っているのだろう。上着はジュストコール仕立ての丈の長いもので、生地を見るだけで上質とわかる黒に近い臙脂だ。それに銀糸の刺繍が控えめに施されている。
よく見ようと両手で上着を取って目の前に吊るしてみると、ふわりとルベウスの香りが鼻腔をくすぐった。
花の中の花と呼ばれる、彼自身の漂わせる体からの匂いにも似た少し甘く清涼な香りだ。顔を近づけて頬に生地の柔らかさを感じながら深くそれを吸うと、自分に纏わりついていた他人の香りの濃厚さが薄れる気がした。
そこで悪戯心がわきあがり、デキウスの口端がにんまりと上がる。
数分後、ルベウスが袖のカフスを留めながら部屋に戻った時には誰もおらず、元のとおり椅子にかけてあった上着を掴んで急ぎ足で出て行く。今宵はこれからサロンでの会合に顔を出すことになっていた。
極上の強い酒と、麻薬や催淫効果のある煙草の煙、意味ありげな視線の交わしあい、裏のある言葉、そして何らかの合意があると連れ立って出て行く者たち。
シャリートから誰か特定の相手を命じられているわけではなかったが、ここで誰と誰が手を結ぼうとするのか、誰が自分にあるいはシャリートに助力を請うのかを観察している必要はあった。
しかしルベウスの集中力は途切れがちになっており、グラスを片手にマホガニーの壁に涼しい顔でもたれているものの、一刻も早くここから辞したい気持ちに苛まれていた。
女性が意味ありげな視線を投げて誘って来ることも、男性がチェスに誘って来ることも殆ど上の空で辞退するなど、ルベウスにとってはあり得ない状況だったが、実際酒の強さで喉を焼いていないと落ち着かない。
飲むペースが早いと自分で思いながら、給仕に次のグラスを要求する。
ようやく動向を気にしていた連中の行動を見届けるとしっかりと歩ける範囲で急ぎ、珍しく酔いに薄く目元を染めて部屋へと戻った。
ドアのノブに手をかけたときは指先が震え、誰も見ていないのを承知で縋るようにして室内へ入る。重厚な扉を背で閉じると、そのままズルズルと凭れて座りこみ、膝に手をついてがっくりと頭を落した。
まるで息をするのを堪えていたように、深呼吸を二つ。
その姿勢で「デキウス!」と名を叫ぶ。
「呼んだか」
と憎いまでの飄々とした返答が返ってくると、座り込んでいるルベウスの前に膝をついて顔を覗き込んだ。
「珍しく酔っているな」
デキウスが親指で目じりをなぞると、ルベウスが両手でデキウスのシャツの胸倉を掴み、自分に引き寄せた。
「何の悪戯のつもりか知らないが……」
「俺の香水?」
「――お前に酔った」
そう呟いて、デキウスの肩に頭を押し付ける。その言葉にデキウスが苦笑して、頭の後ろを宥めるように撫でた。
「そこまで?」
「怪しい煙やら、酒やら、さらには体温でお前の香りがする――」
「欲しくなったか?」
デキウスの揶う声に、ルベウスが睨む。デキウスは怒るな、というように笑ってルベウスの額に自分の額をつけ
「お前が行く前に、俺もな」
と囁き、唇を甘く食む。
ベッドへと促したが、ルベウスのキスから逃れられず、そのまま床でもつれあい、整えられた髪を掻き乱す。 デキウスももどかしげに肌を求め、上質なシャツの釦が床に転がった。
二人の香りが擦りあわされるように混じり、上がる体温でいっそう濃厚に香る。
それは二人しか知らない密やかな香りで、酒よりも麻薬よりも理性を跡形もなく蕩かせた。