黒と赤

069 腐れ縁

 

幽玄の島オディールの中心市街地には魔族が統治するこの地において少しばかり異色の施設がある。
 信仰も人種も自由な地ではあるが、ラ・ハエルを祀る大聖堂はリブ・ヴォールトのアーチが美しく、壁体の開口部にはステンドグラスが様々な色を輝かせていた。
 その中でも一際目を惹くのが精巧なデザインの薔薇窓である。
 車輪や歯車を彷彿とさせる円形のそれは細部にまで拘りをもって作られており、建築ギルドのあるグランディナの様式を余すことなく盛り込まれた聖堂だった。
 中央にはパイプオルガンが存在を誇示し、荘厳な音色は訪れる人々を粛々とした心持ちにさせた。
そんな聖堂の片隅にひっそりと告解室がある。
 力天使であり現在はラ・ハエルの教義を説く為この聖堂の司祭を務めるフィディウスは告解室から微かに滲む魔の気配に眉を寄せた。
 グランディナ皇国でこのような状況があれば有無を言わさず中に潜む魔の者を排除しただろうが、この地は聖魔の庇護下にあり魔族であろうともこの聖堂で懺悔をする機会は与えられているのだ。
 告解室は人一人がやっとといった狭い部屋が三つ連なっており、フィディウスはその内の中央の扉を開ける。
 口許から胸までが見えるような造りの格子状の窓を開き、懺悔の内容を問うと聞き覚えのある笑い声が耳を擽った。
それは遥か昔のようであり、つい昨日のようでもある。
 時間の流れを忘れさせる程に意外な人物で、フィディウスは一瞬声を詰まらせた。
「久しぶりだな、フィディウス。息災か?」
「……何をしに来たのだ、デキウス」
 苦々しげに名を呼ぶフィディウスの声は今更何を語らう事があるのかという非難めいたものだった。
 そもそもデキウスが聖界に召し上げられるきっかけになったのはこのフィディウスの気の長い説得によるものであったし、聖界に上がってからも他の聖族から苦言を呈されるデキウスは何かと世話になっていた。
 デキウスにとっては有難迷惑なものも幾つかあったが。
 魔貴族の気配を限りなく消して聖堂に紛れ込むとは相変わらず意地の悪い再会の仕方だ。
「これを返そうと思ってな」
「……?」
 格子窓の隙間から見える小さな箱には見覚えが無く訝しげに見やるが、デキウスは楽しげに笑うだけで伝える気はないようだった。
「ここに置いておく。受け取ってくれよ?」
 祈りを捧げられるよう肘をつける簡素な棚の上に小箱を置き、用は済んだとばかりに告解室の扉を開く。
 そして退出間際に余計な一言も添えて。
「あぁ、ルベウスは息災にしているぞ。俺の城で、な」
 その言葉にフィディウスは一瞬瞠目したが、見る見るうちに渋面を作ると唇を引き結ぶ。
 フィディウスの記憶の中では神の臣として誰にも恥じぬものであったはずなのだ。
 主であるシャリートが地を選んだ事で彼も同じ道を辿らざるをえないとばかり思っていたのに、堕天の直前エウシェンを欺き穢れた美術品を集めていた事実が明るみになった際フィディウスは大げさではなく眩暈を起こしたものだ。
 どうして、あの忠臣がそうなってしまったのか。
 考えたくは無かったがデキウスと引き合わせたからではないのかと自分の判断ミスを恨めしく思わぬ日はなかった。
 デキウスの気配が去った後告解室に残された箱を手に取ると、アクセサリーでも入っているかのような柔らかな布に包まれた片眼鏡が鎮座していた。
 そのモノクルは忘れようも無く、思わず小箱を持つ手に力が籠る。
 華奢な銀の鎖も美しい真円を描くレンズも見間違えようもない。
 これはあの二人が冥王からの矢傷を負ったフィディウスの為に危険を冒してドラゴンの目をくりぬいて作ったものだった。
 二人が堕天して尚捨てられずにいた未練のようなものだ。
 これを人間の元へ忘れていった時、やっとこの腹の底に蟠るものが消えたのかと安堵すら感じていたというのに、まさかまた同じ者から直接返されると誰が予想しただろう。
 フィディウスは小箱を床に叩き付けようと腕を振り上げたが、食いしばった奥歯の力を緩めると同時に深い溜息を零して腕をゆっくりとおろした。

 

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