黒と赤

お題『添い寝してくれない?』

お題:①目蓋の裏にある笑顔/②幸福の条件=隣に君がいること/③添い寝してくれない?


ルベウスはシルヴェスの都、ナハトメレクの自城に戻ってくると、出迎えたレジーナにコートを手渡しながら浅く溜息を吐いた。
 今回の仕事の相手は真祖の血を引くヴァンパイアの貴族だ。地上のヴァンパイアにおける真祖はルベウスの主人であるシャリートが血をやって養った人間で、旧神の呪いによって血を啜る存在になった者なのだが、魔族のルベウスから見れば彼らの言うところの気の遠くなる時間は、自分たちにとれば瞬くほどだ。

 その真祖を起源として、いまやナハトメレクで中心をなすほどの数のヴァンパイアがいる。むろん、血を啜るだけしか能のない手合いも含めてではあるが、彼らは共通して芸術的なものに対する意識が鋭く、時として強迫観念に囚われているのではないかと思えるほどの美意識を発揮した。それゆえに美術品を愛でることを趣味とするルベウスにとっては、地上のどこよりも面白みに満ちた街なのだが、住人までが魅力的かといえばそう美味い話ではなかった。
 シルヴェスには魔族が多く、ヴァンパイア族はいまやその中心的一角を成しており、特にナハトメレクは貴族種と呼ばれる真祖ヴァンパイアの直系統だと名乗る高祖と呼ばれる一族が政治的にも力を持っている。
 彼らは尊大で傲慢でプライドが高く、扱いづらい。魔貴族も大して変わらぬとはいえ、それでも聖界時代から同じ時間を過ごした同族だが、ヴァンパイア族はそうではない。
 真祖が積極的に介入してくれれば事は簡単なのだろうが、当人は最初から世捨て人のような生活をし、権力だの支配だのいったことから距離を置いているので、ヴァンパイア関係で何かおこれば養い親のシャリートを経由して、自分のところへ話がくることも少なくない。
 旧神である魔族が、たかだか1000年も生きていないひよっこの相手を丁重にしてやるのだ。まあそんなことを思っていては、人間世界の政治的介入などできないので、ルベウスはいつもとかわらず割り切っていたが、疲れを覚える自分の精神まではどうしようもない。
「人を通すな。暫く一人になりたい」
 ルベウスは神経質そうな仕種で自分のピアスに触れながらレジーナに命じると、踵を返して自室へと向かった。
 疲れを覚えているのか、会話中に降り積もった苛々としたものか、とりあえずそういった縛りから気持ちを解放したいと、灯りもともさぬ書斎の椅子に身を沈めると両手を肘掛に置いて瞑目する。
 旧友と他愛ない話でもして酒を飲むのが一番効くのだが、数日で終わる仕事なので行動を共にしていない。今頃は上機嫌でどこぞの娼館で遊んでいるのだろう。そういえば彼が不機嫌な様子を滅多と見ないな、と思うと我知らず笑みが口の端に滲んだ。
 彼はどんな状況でも楽しもうとする。窮地であれ、苦痛であれ、災禍であれ、退屈を紛らわすスパイスなのだろう。ごくまれにムッとした表情を見るとすれば、おかしなことに自分がらみという些細なことだ。翻って考えるならば、それは旧友にとって些細なことではないのだろうなと思うと可笑しい。

 とりあえず感情的に苛々とささくれ立つ日は眠れ、とその旧友は助言していたかと思い出して身を起こし、面倒そうに服を脱ぎながら寝台へむかい、その冷ややかな寝具に身をうずめた。
 いつしか浅い眠りに落ちていたらしく、ふと我に返る。
 背後に感じる親しんだ体温と己に廻された腕。
 どうやらまだ目覚めておらず夢の中かと苦笑し、夢ならばしばしそれを楽しもうと、身じろいで腕に手を重ねてまた目を伏せる。
 耳元で「まだ眠っていろ」と深みのある声と軽いキスの音が聞こえ、我ながらよくできた夢だと微笑んだ。
 いつから一人寝よりもこの体温があるほうが眠れるようになったのかと思いながら。

 その夢は朝に熱を交わせる体があると知るまで、夢のまま優しい眠りをルベウスに与え続けた。

 

 

まどろみ