黒と赤

【魔14】 フェイク 【R-18】

 空からテラスへと舞い降りた黒い翼が背に消え、八重咲きのガーデニア(梔子)に似た甘く濃厚な香りが殺風景な部屋を彩る。解毒の作用があると聞いて手に入れてきた花は、薔薇を思わせる八重の花弁と清楚な姿でありながら、香りはむせかえるほど官能的だ。
 デキウスの寝室に飾ってやろうと進みかけ、漏れ聞こえる声に頭を傾ぐ。
 痛みに魘されているのかと部屋を覗いて、ルベウスは眉を上げた。
 自分がいる。
 正しく言えば、聖界時代の自分だ。
 一糸も纏わず、デキウスの開いた足の間に跪き、頭を動かしている様を見れば何をしているか言われずともわかった。
 デキウスの乱れる息と眉を寄せた表情から、あの姿勢で身を起こしていても傷にさわるのと、快感が交じり合っているのがわかる。
 これは珍しいものを見た、とデキウスがこちらに気付いていないのをいいことに、特に隠れるわけでもなく壁にもたれてその様子を仔細に観察した。
その眼差し、薄く開いた口、苦痛と快感に同時に責めさいなまれて昏く笑うような恍惚、そして滲む汗。
 自分の手でやれば姿勢的に傷に触るのだろうから、こういう手段を取ったのだろうが、造魔の姿がルベウスと同じだというのが失笑する。だがこれで違う相手の姿を選んでいたなら、それはそれで微妙な気持ちになるだろう。
 天使の姿の自分は従順で、デキウスを主人のように見上げては奉仕に満足しているかどうかの甘い視線を走らせる。
 あれがデキウスの記憶ならば、己はあんな顔でデキウスの熱を銜え、眸で煽っているのだろう。赤面するというより、居心地が悪い。
 己が作り出しながら完全に己自身ではないものからもたらされる快感に、デキウスの息が上がる。耳に覚えのある口淫からの濡れた音に、ひたすら昇りつめていこうとする貪欲な表情。
 造魔が熱から口を放し、デキウスの下肢に跨って身を沈めたところで、こちらに気付いた。
 ルベウスは腕を組んで見つめたまま、続けろ、というように手をひらひらと振って先を促した。デキウスが一人で処理しようとするのを見たのは最初ではないが、自分の似姿で処理をしようとしているのは初めて目にする。
 彼から見れば自分はこうなのか、と苦笑交じりにその営みを眺めた。
 寝たままの姿勢で腰を突き上げられるほどの回復と体力がないのはわかっている。それだけに造魔がデキウスの思い通りに身をくねらせて腰を振り、彼を吐精へと導いていく。まさに自慰だ。
 それでも背の痛みは耐え難いほどであろうし、デキウスが唇を噛むようにしているのは快感を堪えるだけではあるまい。
 やがてデキウスの上に乗っていた造魔が霧散し、彼は喘ぎながらベッドに沈んだ。
「見世物の時間は終わりだぞ」
 デキウスが空しさと虚脱感で不機嫌に言う。
「お前の私は具合が良いか」
 ルベウスが笑いを含む口調で言うと、「お前がいるなら必要ない」とむっつりと答えた。
「とりあえずこういうことを隠れてやっているから、傷が開いていることがあるのがわかった」
 ルベウスはそういうと、寝台に腰掛けてデキウスの肌蹴た腹にキスを落した。 散った精は造魔に吸収されず、褐色の肌に白い液体が残っている。それを肌に塗りのばすように指先で撫で、熱を放ったばかりのデキウス自身に触れた。どうしようか、というようにまだ息を整えているデキウスを視線で揶うように見る。
 脱ぎ捨てられていた夜着で腹を拭い、デキウスの腹を跨いで座った。香りの強い白い花をデキウスの胸に置く。
 傷が圧迫されるのか、その官能的な花の匂いのせいか、それとも見られたくなかった場面を見られたからかデキウスは顔を顰めた。
 ルベウスは表情の読めぬ熱の低い薄蒼の眸でデキウスを見つめたまま身を屈めて手を延ばし、ピアスを確かめる。今日でかける前に満たして行ったルベウスのエネルギーは枯渇し、ピアスの色は褪せている。眉根を寄せ耳に口を寄せると
「私が回復に与えているエネルギーを使ったな」
 と不機嫌に囁いて耳朶を軽く噛んだ。このエネルギーを使ってしまったならば、程なくデキウスはまた闇の眠りに沈むだろう。言葉を交わす短い時間を楽しみに帰ってくればこれだ。
「仮にもお前を作るのだから、不出来では申し訳ないだろう? 使えるエネルギーは全部使った」
 デキウスが下から見上げて負け惜しみのように言うと、ルベウスは「なるほど」とうっそりとした微笑を見せた。
「では傷を診ておいてやろう? 不出来な本体だがな」
 そういって寝具と身体の間に手を滑り込ませ、そのまま容赦なく薄皮の張った敏感な傷に指を這わせて、デキウスが痛みに身を強張らせて呻くにも関わらず、その指先を確かめるように乱暴に引き抜いた。
 指先が朱に染まっており、それが気に入らないように眉を上げると、指を口に含む。そしてその濡れた指先でデキウスの唇を撫でた。
「お前の記憶の私は、聖界のままなのだな」
「今の姿より馴染みがある。頭の中の記憶もあの姿のほうが多い」
 デキウスは片目を黒い布で覆った髪の短いルベウスを見て、溜息を吐く。傷で眠っていた時間が長いので、さらに今の姿になじみが薄い。目のことは理解していても、いつかそれが治って眼帯で覆われてないルベウスの顔が見られるのではないかと言う無意識の期待もまだ拭えないぐらいに、馴染みが無い。
「確かに。黒い髪の男も褐色の肌の男も緋い眸の男も記憶に薄い」
「俺が寝ている間に十分観察しただろう?」
「それでもこうやって言葉を交わして見下ろしていると、奇妙な違和感を感じる。特に先ほどのような姿を見ると――」
 ルベウスはそう言いかけて言葉を切った。
「何だ。面白かっただろう?」
 デキウスの自嘲じみた言葉に、ルベウスは横目で冷めた視線を投げた。
「そうだな。見知らぬ誰かに抱かれている自分を見たような気分だ」
 デキウスが可笑しげに鼻先で笑い、大儀そうに片手を上に上げて甲の関節でルベウスの頬に触れる。重くなった目蓋に抗うように視線を合わせてくる。
「日焼けしたと思っておけ」
「無理があるな」
 ルベウスは苦く笑って、その手に指を絡めると指先で甲を撫でた。
「ばか者め……。手が必要なら言え」
 回復のエネルギーを使って造魔を作り、自慰したことをやんわりと責めると、デキウスが「おまえ自身に嫉妬か?」と返してきたので喉を軽く噛む。
「抱きたいと思うなら、無駄にエネルギーを使うなと言っている」
 ルベウスはそう言うと体勢を入れ替えてデキウスに寄り添う形で肘をつき、背にそっと触れてエネルギーを送った。
「今度見つけたら、問答無用で犯す」
「それはそれで愉しいが」
 デキウスはくつくつと笑うと、珍しく甘えるように額を肩に押し付けてきた。
「やはりお前がいい――」
 そう言いながら闇の眠りに囚われていくのを、ルベウスは溜息混じりに見守りながら、呼吸が深く静かになっていくデキウスのくちびるにゆっくりとキスをする。
 その音が眠りの向こうに落ちていくデキウスに届けば良いと。
「私もお前がいいのだがな……。過去の私のほうがお前を捉えているとは少々複雑だ」
 そう苦笑混じり呟くと、薄い寝具を引っ張り上げてデキウスの裸体を覆う。

 さてこの持て余す熱をどうやって夜を過ごそうかと思いながら。


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