黒と赤

【魔12】 お題『吐いた嘘を見抜いてしまう、貴方が嫌い』

デキウスはうつぶせになった姿勢で頭だけを捻り、視界に入ってくる範囲でルベウスの動きを目で追っていた。
 ルベウスが背に滴らせている血が傷口へと呑み込まれていくと、実感として痛みが和らぎその部分が温かく感じられる。古代竜種の血統の血は命そのもので熱い。心臓の鼓動と合わせてエネルギーが高まる感覚が心地よく、同時にルベウス自身を感じるようで、おのれの体内で自分自身の闇と混じりあっていくのはどこか性的なものと似ていた。
 視線を上げると、ルベウスの表情はほどんど凪いでいる。本を読んでいるときの方が没頭と熱中の表情があるぐらいだ。この全てを封じ込めたような無表情は覚えがある。
 聖界で物見高い連中を眺めているときや、彼らと会話しているときに浮かべる微笑の土台となる冷めた表情だ。
 今彼は自分の中の何を無視しようとしているのか、とデキウスがその横顔を見つめていると、施術が終わったのか自らの腕に残った血のあとを拭うルベウスと目が合った。
 どうした、というように無言で眉を上げてくる。
「拭うぐらいなら舐めさせてもらいたいものだ」
「そんな減らず口が叩けるようになったのだな」
 呆れながらもルベウスは微笑を返し、まだ残っていた手首のそれをデキウスの唇に押し付けた。
 血のにおいに混じる仄かな花の香が、いつもルベウスから漂う僅かな芳香の理由なのだが、デキウスにとっては別の意味もある。
 抱き合っているときにルベウスが快楽に溺れれば溺れるほど、濃厚になる香りなのだ。
 今まで苦痛と昏睡の狭間で殆ど意識したことがなかったが、この血を介した治療はありとあらゆるところに欲望を刺激するものが隠れている。
 それを思い出して手首に舌を這わせて血の痕跡を綺麗に舐め取り、そのまま手のひらから親指と人差し指をつなぐ薄い皮膚を辿る。
 人差し指を含んで歯を立てると、「おい……」と少し迷惑そうな声がした。
 視線を上げてルベウスの顔を見ながら、明らかに艶めいた理由で指の付け根を舌で抉った。
「何か思うところでもあるのか?」
 ルベウスが怪訝な声音で手を引こうとするのを軽く捉え、その連動で背の傷が痛んだので顔を顰めると、慈悲深くも手はそれ以上退かなかった。
「お前を抱きたい」
 デキウスがぽつりと呟くと、ルベウスの鼻先で笑う乾いた声が上から降って来た。
「そんなことは自分の足で歩けるようになってから言ってもらおうか」
「確かにな……」
 デキウスも苦笑する。相手の手を引きとめるぐらいで背中の激痛に襲われるようでは、抱きしめることもままならない。
「じゃあ、何かして欲しいことはないのか?」
「殆ど寝ている怪我人から、情けをかけてもらうほどのことはない」
 ルベウスの淡々とした言葉に、デキウスは「嘘つきめ」と、精一杯苦々しく応えた。
「うそ?」
「お前がそういう仮面みたいな無表情をするときは、言いたいことが山ほどあるときだ」
 ルベウスは肩をすくめて今度は本当に手を退いた。
「心穏やかに過ごす知恵だと言って貰いたい。だがお前が自分以外を気にかけられる程度に回復したことは喜ばしい」
 そう言って唇に薄く浮かべた笑みは、確かに嬉しそうにも見えた。手巾で残っていた乾いた血の跡を拭い清め、カフスを留めた。そしてデキウスの傷が直接寝具に触れないように、あて布をして包帯を丁寧に巻いていく。
 胸と寝台の間に手を滑り込ませるたびに僅かに背に掛かる力で、デキウスは顔を顰めたが、最後にそっと抱えられて仰向けの体勢になると、ルベウスの労をねぎらうように耳元でキスの音を立てた。
 ベッドに両手をついたままの顔が間近な姿勢で、ルベウスが見下ろしてくる。
 そして目を半ば伏せると、デキウスの望みどおり唇にキスが舞い降りてきた。
 少し体温の低い唇が押し付けられ、デキウスの口唇を舐める。そしてその隙間から舌を潜り込ませると、温かく柔らかな感触のものがデキウスの口中をゆっくりと愉しむように這い回る。
 その動きに応えて絡めあわせ、ルベウスの小さな牙に舌を押し付けようとしたところで、やんわりと制止されてキスは中断した。
「──キスぐらい怪我人じゃないのをさせろよ」
 デキウスが不満げに言うと、ルベウスは静かに笑った。その代わりのようにてのひらでひたいから頬へと撫でる。
「まだ早い」
「過保護だぞ」
「かもな」
 ルベウスはくつくつと笑うと、デキウスの喉に唇を押し当てて甘く吸い上げる。そして痕跡を確かめるように顔をあげて、その場所を指先でそっと触れる。
「肌の色のせいで、あまり痕が見えなくなった……」
「欲しいんだろう? 俺を」
 ルベウスの視線が無言で上げられ、デキウスの真紅の目をじっと見返す。
 そして十分すぎるほどの沈黙のあと、口許だけで笑って耳に顔を寄せる。
「欲しくないなら、血などやらぬ」
 囁きと共に舌が耳に入り込み、その感触にデキウスは反射的に肩をすくめて、背に響いた激痛の呻きを漏らした。
 その声にルベウスがぞっとするような甘い声を立てて笑う。
「たまに、お前の中に入っているときに聞く声と錯覚する」
「現に、お前の血が俺の中にたっぷり入ってるぞ」
「滾るだろう?」
「おかげさまで」
 ルベウスが口角を上げたまま、手をシーツの下に忍ばせてくる。
 そして固さを帯び始めているデキウス自身に触れると、さらに笑みを深くした。
「お前が眠るまで、咥えていてやろうか?」
「咥えたいっていう顔をしてるから、させてやってもいい」
「ぬかせ」
 ルベウスは氷の仮面のような無表情さが溶けた視線の艶やかさで笑うと、夜着を肌蹴させてデキウスの下腹部へと辿り、その熱を含んだ。


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