黒と赤

【魔09】 お題「代わりに僕が愛してあげる」

ルベウスはシャリートがオディールの薔薇園で特別に育てさせた、雪白の花びらの縁にうっすらと仄かなサンライズオレンジが染まる薔薇の花束を携え、バールベリスの優美な白亜の城を訪れた。
 堕天時に6枚あった翼の一対を失ったと聞くが、色は純白のまま、琥珀の髪もそのままだと聞く。10年近く痛みと回復のためにルーフェロ、アコール、シャリートの旧五神のみしか近寄せず、ようやく外の者に渋々ながら会う気になったらしいが、それもまだ7将軍だけというのだから、彼なりの譲れぬ美意識とプライドがあったのだろう。
 なのでそれ以下(公爵以下)の者が早い時期から何度も拝謁しているとなると、ルベウスのみだった。彼はバールベリスから直々に話し相手と呼ばれることも多かったのだ。

 薔薇の花束はシャリートからの見舞いだ。バールベリスはこの薔薇が大好きだと言うのは、シャリートからの気遣いだからだろう。
 来客を通す広間に足を踏み入れると、何かが壊れる音とヒステリックなバールベリスの声が聞こえてきた。
「出て行けと言ってるだろう!? 僕はゴミの嘆願を聞くために訪問を許してるわけじゃない」
 そして再び何か割れる音と聞くに堪えない罵詈雑言。扉が乱暴に開かれ、たたき出されるように出て来る来訪者が、すごすごと階段を下りてルベウスに視線をちらと向けただけで出て行く。

 何度も見慣れた光景だ。

 今日もご機嫌は麗しくないようだ、とルベウスは心の中で苦笑する。
 もう今日は誰にも会わないからね! という怒鳴り声と召使が恐る恐るルベウスの来訪を告げ、それは一転した。
 天使にこそ相応しい耳に心地よく涼やかな声が、甘えた声でルベウスを呼ぶ。

 それに応えて部屋に入ると、天界時代と少しも変わらぬように見えるバールベリスが抱きついてきた。
「今日は呼んでいたっけ? それともお使い?」
 目を輝かせて薔薇を受け取り、胸いっぱいに香気を吸って微笑む姿も愛らしい少年そのものだ。そしてカウチにルベウスを誘うと、甘えるように横に座った。
「我が君のお見舞いをお届けに」
「お前は? 気にしてくれてた?」
 ルベウスの腰に両手を回して抱き、甘えた蒼い目で見上げて来る。その金糸の髪を撫でながら「もちろんです」と答えるのも、聖界時代から続けられているバールベリスの遊びだ。
「そういえばシャリートさまから聞いたけれど……、ルベウス、娼館に行くの?」
 ルベウスはあやうく咽そうになるのを堪え、そんなことは信じられないというような純粋な目で自分を見るバールベリスに苦笑する。
「必要とあらば、どこなりと参りますよ」
「必要なの?」
「我が君はそう思われたようです」
 バールベリスは抱きついたまま、「ふぅん?」と呟くと、明らかにその無邪気な姿に相応しくない手つきで腰を撫でてくる。
「闇くん、まだ具合よくないわけだね」
「殆ど眠っておりますね」
 闇くん、とはバールベリスがデキウスにつけた仇名で、その問いに頷く。
「可哀想だね、ルベウス。代わりに僕が愛してあげるよ?」
 バールベリスがルベウスの膝に乗り、顔を滑らかな手で撫でてくる。
「お気遣い、いたみいりますバールベリス」
 それはバールベリスが抱けという命令だというのも、長く繰り返してきた遊びだ。だがもう一言付け加えたのは、本当に彼なりのルベウスへの愛情めいたものなのだろう。
「僕の背を縫った糸をあげようね。血に浸して縫えば、翼の傷なら綺麗に癒えるよ」
 ルベウスのキスが感謝をこめていつもより甘いものになったのを、バールベリスは満足げに目を細めてルベウスの黒髪を梳く。
「可愛い、僕のルベウス。闇くんが元気になってくれないと、遊びに来てくれないものね」
 バールベリスはくすくすと笑うと、ルベウスの手が自分を優しく愛撫してやがて自分を淫らな熱に沈めてくれるのを待ちわびながら、彼のシャツの釦を外していった。

 ワインレッドのような葡萄の木箱を抱え、ルベウスがサンギナリア城に戻ったのは夜明け前だった。デキウスに血をやる時間にはまだ早い。今までなら彼はまだ数時間は目を醒まさないだろうと思いながらも、寝台の上の姿を確かめずにいられない。
 燭台を翳すでもなく寝顔を覗くと、デキウスは目を伏せたまま「戻ったか」と呟いた。
「起こしたか?」
 ルベウスが寝台に腰かけて、デキウスの鼻梁をなでる。
「いや、それほどでもない。夜中なかったお前の気配がしただけだ」
 ルベウスの指先の感触に少し笑い、デキウスは緋い目でルベウスを見上げた。
 先日、傷の奥にあった嚢胞を一つ取り除いたことでデキウスの回復は目に見えて早まったが、未だ一日中起きているほどでもない。体力が回復していないせいもあるだろうが、もしかするとまだ同じようなものが残っているのかもしれない。その可能性を考えると、バールベリスから賜った糸で傷を塞ぐのは危険ともいえる。
「バールベリス殿より、傷を縫うのに良い糸を賜ったが……」
「仕事引き換えか。疲れた顔をしてるな」
 デキウスがからかい混じりに笑う。
「毎度のことだ」
 ルベウスがつまらなさそうに眉を上げて肩をすくめる。それでも彼にすればバールベリスは相手にしやすい上に、話も付き合いやすいので丁寧に対応している。
「お前の傷を奥まできちんと確かめてから縫いたい」
 ルベウスは上着を脱ぐと寝台の上に放り投げ、ベッドの周りに置いたクッションに座り込んだ。デキウスの傷もあるので、側にいたいときは床で寝る習慣が身についてしまっており、いつもデキウスに呆れられているが本人はさほど不快に思っていない。
「また抉る気だな」
「今日はしない。薬などを揃えてくる」
 ベッドに頭を乗せて、仰け反った姿勢でデキウスを見ると、デキウスが大儀そうに手を伸ばしてルベウスの額に触れた。
「そんなところで寝るなと言うのに」
「寝ている間にお前の傷に触れても困る」
「そんな相手を犯すやつが言うことか」
 ルベウスは笑うと、額に触れる手に指を絡めた。
「そうしないためにも、手の届く範囲にいないほうが良かろう?」
「お前が床で寝るなら、俺が床にいくぞ」
 デキウスの笑いを含んだ子供じみた脅しにルベウスは呆れたように苦笑すると、寝台に上がって横になり、自分の頭を手でささえてデキウスを見下ろす。
「早く寝ろ。私は眠いんだ」
「酷い添い寝だな。誰がお前を寝所などに呼ぶんだ」
「お前みたいな変わり者だ」
 ルベウスは喉奥で笑うと、デキウスの頬に唇をつけた。
「今度寝所に呼ぶから、愉しませろ?」
 デキウスの言葉に片眉を上げる。
「御意、伯爵閣下」
 そしてデキウスがまた回復のための闇の眠りに引きずり込まれて呼吸が静かになっていくのを、ルベウスは穏やかな目で見守り、やがてまた寝台から降りると慣れたクッションの山を適当に整えて自分も眠りについた。


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