黒と赤

【魔07】お題『おでこにキス』 【R-18】

薄暗い寝室に、おだやかに水を絞って滴る音がする。
 ヴァンパイアほどではないが夜目が利くので、デキウスの夜着を寛げて行く手元に不安は無い。
 寝返りや姿勢の変更で痛みの負担をかけぬようにと、清拭はデキウスが深く眠っているときにすませるようにしていた。
 顔からはじまり、首筋、腕を拭い、指先まで至ったところで今度は胸から下へ辿っていく。眠ってばかりで動いてないせいもあって、少し肉が落ちた印象もあった。
 柔らかな別の布に変えて下肢のデキウス自身を拭い、また体を拭うものに変えて今度は足の指先までを丁寧に清拭しおえた。
 手桶で手を清め、デキウスの腰と頭に手を入れて抱き起こすようにしてうつ伏せに姿勢を変える。傷に負担がかかったのか僅かな呻きを漏らしたが、ルベウスが視線の端で確認していても目覚める気配はなかった。
 同じように背を拭い、肩甲骨近い場所にある醜い傷をよく見るために燭台を近づける。肉と薄い皮膚が張り始めた境目は焼け焦げたように引きつれ、それがまた新たな痛みとなっているのがわかる。
 まるで口を開いたばかりのような生々しさでありながら、流れ出す血はない。腹を開いて脈動する内臓を観察しているような気分だ。
 寝台のそばのテーブルに用意してあったナイフでいつものように自分の左手首から肘にかけて無造作に切り裂くと、たちまち溢れ出した血をその傷へと浴びせた。
 デキウスが、というよりも傷がその血を貪欲に吸い込んでいく。ルベウスの血は竜の生命そのものといわれるほどの高エネルギーだが、傷が本当に回復しようとして血を欲しているのか、体内に残っている瘴気が治癒に抗って血を求めているのか、いつも判断がつかない。
 もし体内に瘴気が残っているならば、この行為に意味はあるのかと迷いが生じるほどに。
 翼はもともと急所だ。そこにもぐりこんだ瘴気はいかほどのダメージを与え、それをもぎ取られた傷はいかほどの後遺症になるのだろう?
 高位の魔族で翼が羽毛から皮膜に変わっただけでも数十年の苦痛にのた打ち回っていると聞く。
 ルベウスは腕の傷の治癒と共に血が滴らなくなったのを確認すると、身を屈めてデキウスの傷のふちにそっと舌を這わせてみた。己の血の味の名残がする。

 肉体とアストラルを繋いでいた場所。
 翼が抜け落ちた空洞の肉。
 そして急所であり恐ろしいほどの快楽を感じさせると言う場所だ。

 もし目覚めていたならば、デキウスは痛みに喘いだか、それとも快感に喘いだのか。
 その想像が舌先を傷そのものに這わせる。
 薄い膜が張ったばかりの場所をそっと舐め、まだ生々しく口をひらいたままの肉に舌先を触れさせたところで、何かが舌を焼いた。

 同時にデキウスが感電したように目を醒まして身を震わせ、純粋に苦痛に叫ぶ。ルベウスはデキウスの背後から体重をかけ、さらに頭をがっちりと押さえつけたので、手負いのデキウスの体力ではままならない。
「何を……? やめ……ろっ!」
 最後は咳き込むような苦痛の叫びで言葉が濁る。
「何か、あるようだ……」
 ルベウスは無表情にデキウスの頭を押さえつけたまま、今度は傷の割れ目にひとさし指を容赦なく根元まで差し込んだ。
 搾り出すような絶叫が城内にこだまする。
 デキウスは痛みに耐えるためとあまりにも耳障りな自分の声から逃れるため、柔らかな枕に顔を埋めて、引き裂きそうな勢いで掴んだ。
 ルベウスの指が、何かを探しているように肉の中で蠢く。
 まるで交わるときにより強い快感を生む場所を探しているかのように、繊細で焦れったい動きだ。
 デキウスにとっては目的もわからぬ果てがない拷問かと思えたころに、指がずるずると抜かれた。
 叫びすぎて呼吸すらままならないデキウスは、そのひと時の安堵に咽たように必死に空気を求めて喘ぐ。そうすることで薄い皮膚が破れるほどの衝撃だ。

 ルベウスは考え込むように血塗れた指を含み、舐める。
 己の与えた血とデキウスの血の混じった味が、舌を愛撫するが、それではないものも感じるのだ。
 先ほど舌を焼いた何か。

 それを確かめるために今度はまた直接口をつけた。
 皮膜が裂けて血を滲ませているところを丁寧に舐めると、デキウスの声に艶が混じる。
「痛むと思うが――、耐えろ」
 そう冷たく言い放ち、ふと思いついたように、今度はその血塗れて舐めた指をデキウスの後ろへと忍ばせた。
 痛みと緊張で固く閉ざされている場所に、傷に触れるよりは強引に指を穿っていく。普段ならそれごときでは嬌声を漏らさないデキウスが、痛みと快感の混濁に甘く呻く。
 暫くデキウスに快感だけを与えながらその様子を見ていたが、肉が淫猥に絡みつきだしたのを合図にまた傷口に唇をつけた。

 痛みと快感にデキウスの声の大きさが跳ね上がる。

 今度は傷口の周辺を念入りに舐めては軽く歯を立て、じわじわと肉が裂けている場所へと舌先を伸ばしていく。
 今のデキウスの絶叫には苦痛と快楽のどちらが大きいのかと思うと、ルベウスの目に小さな狂気に似た闇が落ちた。
 指が穿たれている中と同じように、傷ついた肉が舌に絡みついてくる。それをかきわけ、探しているものを求めてさらに奥へと延ばすと、痺れた感触にあたった。
 これだ、と。
 中を追い上げ、吐精したいと腰を振りだすデキウスを更に押さえつけ、背の傷に犬歯を立てて傷を広げ、舌を痺れさせたものを食いちぎる。

 人の神経を病みさせそうなほどの長い絶叫とともに、いつもならば痛みでできないはずの背を撓らせる反応をして震えた。

 ただただ、絶叫とともに痛みから逃れるためか。
 それとも吐精の快感か。

 果てたあとも、長く弱い掠れた叫びが続く。
 快感と痛みに体をひくつかせ、全身汗にまみれて濡れている。よく気絶しなかったものだと、その様子を見てルベウスは薄く笑った。
 ルベウスは噛み千切ったものを手の上に吐くと、その嚢胞に顔を顰めた。
 瘴気の赤黒い塊で、まるで生き物のように蠢いている。これがデキウスの回復を遅らせ、治療で与えられるルベウスの血を吸っていたのだろう。健康ならば取り付くことすらできない下等なものだ。
 そのまま手のひらに炎を生み出して焼き尽くす。耳障りな悲鳴が聞こえた気がしたが、すぐに消えうせた。

 さて、と喘ぎ続けるデキウスを見下ろす。
「シーツから変えねばならんな」
「おまえ……いうことは――それだけか」
 切れ切れの呼吸の下から、デキウスが睨む。
「痛みで達するとは思ってなかったのでな。多少快感があったほうが紛らわせるかと。痛みが治まらない理由の一つは取れた」
 ルベウスはどこか満足げに目を細めると、デキウスの額にはりついた髪を掻き上げて、唇をおしあてて汗を舐め取る。
「サディストめ」
「心外な。手術みたいなものだろう?」
「そういう薬なり魔術なりあるだろうが」
「――ああ、すっかり失念していた」
 ルベウスは本当にそんな手段を思いつきもしなかったという表情で言うと、すまないと詫びる代わりに、デキウスの精を吐いた肉に指を絡ませる。
 腰に感じるルベウスの熱に、デキウスはまた喘ぎながら苦笑した。
「こんなことで興奮するな」
「お前が悪い」
 ルベウスの熱を帯びた声が耳を擽る。
「看病されてるのか酷くされてるのかわからなくなってくるな……」
「ここは好きそうだぞ?」
 ルベウスの手の中で質量を取り戻していくデキウスを嬲りながら、さきほど十分に快感を引き出した場所へとゆっくりと身を沈めていく。
 デキウスの苦痛よりも快感に濡れた吐息に魅せられながら、全てを穿つとそっと抱きしめた。


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