黒と赤

聖27 お題【7/30】

冷たいまなざし/そのままの君でいて/綺麗な心、汚れた体


 デキウスと揃ってフィディウスの執務室に呼び出された時は、さすがのルベウスも落ち着かないものを感じたが、それもフィディウスの表情を見るまでだった。
 彼は先日の労を厚くねぎらい、上機嫌かつ誇らしげに二人を褒めた。だが二人があまりにも多くの穢れを浴びてダメージを受けたため、行動を共にする討伐隊の一部で動揺が走っているという話もした。
「まったく、神へのゆるぎなき信じる心があれば、動揺することなど何もないものを、嘆かわしい」
 と頭を横に振る。
「だがそういった弱いものを護るために采配するのも私に委ねられているゆえ、理解してもらいたいのだ」
「もちろん」
 ルベウスとデキウスはちらっと視線を交わし、肩をすくめる。
「暫く討伐任務からは外れてもらうが、ルベウスには変わらず地上での任務があると思う。シルヴェス付近に行くことがあれば、デキウスを連れて行くとよかろう。あの土地に詳しい。
 それと大天使バールベリスがお前に依頼したいことがある旨つたえてこられた」
 聖族たちはいかに位階の高い相手といえども神以外に敬称はつけず、敬意だけを払うのが常だ。それでも中級天使から見れば、大天使はもっとも五神に近いといわれる存在で、心安く交流する相手でもない。
 フィディウスは恭しく手元の文箱をルベウスに渡すと、自分は見聞きしないという意思を示すように退室した。
「俺も外したほうがいいか?」
「いや。聞かれて困るような話ならば、こんな手段はとるまい」
「確かに」
 ルベウスが箱の蓋をあけると、鎮座していた曇りの無い水晶の球が光を放ち、ゆらりと空間に人の像を結ぶ。太陽の光をつむいだ金糸の髪と新緑の瞳の見目麗しい少年が、自分の数倍はあろうかという大きさのグリフォンとじゃれながら喉を撫でている。
 経路が結ばれたと気付くとルベウスの方に視線をやり、にっこりと魅惑的な微笑を見せた。
「やあ、久しいね、ルベウス。それと……誰?」
 高慢とも言えそうな口調と緑の眼差しで見つめられ、デキウスは思わず苦笑しながら黙礼すると、ルベウスが説明を付け加えた。
「地上で闇と影の神であったデキウスです」
「ふぅん、闇ねえ」
 少年は改めてデキウスの頭の先から足の先まで3度往復してじっくり見つめた。そして急にすっかり興味をなくしたようで、ルベウスに視線を戻して微笑む。
「まあいいや。ルベウス、下に降りたついでで良いから、シルヴェス近くの僕の神殿に寄って、聖櫃を取ってきてくれないか。中には魔道書の石版が入ってる。エウシェンの一派が壊そうとしていてね。さすがにそれは惜しいなぁと」
「ついでと言うには悠長にしておれぬ案件ですね」
 神々の対立が透ける一言に、ルベウスは慣れているのか眉一つ動かさない。
「壊されたら地上でその魔術は死に絶える。石版はシャリート神の庇護下に置いてもらう約束になってるんだ」
「わかりました。急ぎましょう」
 主人が関わっているとなれば、ルベウスにとって優先順位は上がる。過剰にならぬよう、そして礼を失せぬ程度に頭を下げた。
「それと、たまには寝所においでよ。お前の寝物語は面白い」
「珍しいご意見だ」
 ルベウス少しばかり眉を上げて笑みに似た表情をした。
「だって僕はお前が好きだもの、ルベウス」
 どこまで本気なのか、バールベリスはグリフォンに凭れながら煌く微笑を見せる。
「だからね、そこの闇くん?」
 なれぬ呼称で呼ばれデキウスは一瞬誰のことかと思ったが、少年の視線が自分に据えられていることで対象を知った。
「あまりルベウスに闇を混じらせないでくれるかな」
 デキウスはさすがにその言葉で瞠目するのを隠せなかったが、その反応を見て少年が笑う。
「あはは、図星だねえ? シャリート神の大事な子飼いだからね。つまらないことで堕ちたなんてなると困るし、僕も怒るよ? じゃあね、よろしく」
 少年がそう言うと、今まで手が届きそうな距離にいた映像が消え、ただの室内に戻った。
「上級天使というイメージとは随分違うな……」
 デキウスが困惑したように頭を掻くと、ルベウスは鼻先で笑った。
「バールベリスは旧神の出身だから、話しやすかろう?」
「お前、真面目に言ってる?」
「もちろん」
 何を言ってるんだというような表情のルベウスに、デキウスのほうが失笑する。
「それと――」
「無駄話はあとだ。時を争う。すぐに発つぞ」
 デキウスの言葉を遮るように踵を返すと、大股でフィディウスの執務室を出て、すぐにアストラルの翼を広げて下界へと降下しながら肉体を纏っていく。直接といわずとも主人が絡むとなると、ルベウスの行動はいつもながら迅速で容赦が無い。それは特に個人的な感情については徹底していた。
 主人と友人の閨房に立ち会えるほどに。
「待て、待て!」
 デキウスは大慌てで後を追うと、翼を畳んでスピードを上げ、先を行っていたルベウスの手首を摑んだ。二人で翼を開いていると邪魔になるので、飛行をルベウスに任せる口実で抱きしめる。
「随分とご贔屓筋が多いんだな」
 ルベウスの眉が潜められる。
「便利だからな。上級天使は地上に降りられぬ」
「そうではなくて」
 バールベリスの寝所へ招く発言を確かめるまでもなく、ルベウスは冷たい口調で
「――つまらぬ」
 とまた遮った。腕の中にいるとは思えないほどの冷ややかな視線がデキウスに向けられる。それでもこちらが聞きたいことは、説明せずとも返ってくることがなんと増えたことか。
 だがこういう部分に関しては相変わらずだった。もし逆にデキウスが気にするようなことをルベウスが仕事で夜を共にする相手に持つのだとしたら、それはそれで別の懊悩が増えるだろう。それならば今までと同じ感覚でいるほうがいいのかもしれない。
「あんな話を聞くと、穢れが淀む……気がするんだが」
 デキウスが自分でも納得できない気分で語気も弱く眉間に皺を寄せると、ルベウスは体温的に冷たい唇でそこに触れた。
「では耳を塞いでおくんだな。私と居る限り似た話はどこでも耳にするぞ」
「上級天使とはいいご身分だ。俺もお前を招きたいものだな」
「お前とて、娼館で好きにしているではないか」
 何をいまさら、と薄く笑う。
「確かに。では何故一番欲しいお前を抱けないんだ?」
 ルベウスは険しい目つきを細め、しばしそれを伏せた。
 そしてまた視線を上げると、険しさの消えた双眸でデキウスの顔を覗き込む。
「お前は触れることの意味を教えてくれるのだろう?」
 そして綻ぶように唇を開き、デキウスの笑みが浮かぶ口端にキスをする。
「我が君のために天に戻らねばならん。今ならお前を求めても堕ちぬだろう。招かれずとも、お前の閨に行くとしよう」
 唇がつりあがって凄艶に笑い、薄蒼の瞳がデキウスの心の奥を見透かすように煌く。
「それがどの程度なのかと思うだけで、堕ちそうだ」
 デキウスは喉で笑うと、下腹部を強く重ねるように抱き寄せ、地上までの暫しの間を酩酊に似たくちづけで溺れ続けた。


 この先にある待ち焦がれたひと時を逃がすまいとするように、何よりも代えがたいものであるというように抱きしめあったまま、夜のシルヴェスへと星が落ちる。

 

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