黒と赤

聖21-2 嫌われ者(ぬるめのお題033)

 ルベウスがまるで正確な傀儡のような手際で、冥界から這い出してきた魔物の頭と胴を切り離して屍の山にしていくと、上空を舞っていた白い大鴉が炎を吐き、二度と再生することが無いように焼き尽くしていく。

 同行の討伐隊はほとんどすることもなく、ごくたまにルベウスの手を逃れて後方にやってくる雑魚を始末するだけだった。

 息も荒げず、目の光はあくまで冷たく、無表情で斬り捨てていくさまは、上級天使が神に仇なすものを無慈悲に圧倒する姿と似ていると誰かが囁く。

 神の子飼いだから、さぞや閨でたっぷりと力を頂いているのだろう、との呟きが聞こえた。今までも散々聞かされたことのある憶測に、また無表情に剣を振り下ろす。

 そういえばデキウスが伽に呼ばれたらしいが、そういう目的でルベウスに近づいていたのか、という言葉に、ルベウスは誰も気付かないほどの嘆息をすると「先に進みます」と言い残し深紅の翼を広げて空へと舞い上がる。

 ルベウスでせき止められていた魔物の群れが急に後ろへと押し寄せ、暇をもてあましていた連中は急に対処せねばならず慌てた。

 それを一瞥すらせず、炎を吐いていた鴉を呼び寄せて剣に替え、今まで携えていた剣を空中へ放り投げ「ラズワード」と名を呼ぶと、蒼い雷光を纏った純白の大鴉になった。それが導く方向へとルベウスも追う。

 周囲の雑音が増えたように思うが、今までもあったのだろう。一つ一つ拾わなかっただけだ。

 アケロイディス山脈をさらに北上し、シルヴェス国境近くで大鴉が放った稲妻が走り、そこが今回の討伐の対象だと知る。穢れた闇の気配が強くなった。

空気を響かせる轟音とともに、稲妻の下からツタが絡むように浄化の闇が捻り纏わりつき、翼のない竜のように天へと突き上がる。

 力の接触に思わず軽く鳥肌が立ち身を軽く震わせ、一瞬瞑目した。

 協力して放つ力でなければ、ぶつかればお互いを侵食するような気分を味わう。



 あれはデキウスの闇だ。



 落雷があったところは上空からでも木々が放射状になぎ倒されて焦土と化し、何も残ってないのが見て取れる。そこに軍装の裾を風に翻らせ背に大剣をすでに収めたデキウスが立っていた。いつにも増して彼から力を感じるのは、勝利への陶酔か。

 裏地のほうが白いとはいかにも彼らしい、とルベウスは薄く笑った。

 デキウスが上空を見上げたので、視線が合う。

 あの顔を見れば、相手も力の接触があったのを感じたのだろう。

 ルベウスは仕方なく舞い降りると、弧を描いていた大鴉を呼び寄せ、そのまま右手の手のひらから内へと沈めていく。

 双眸を半ば閉じ、唇を薄く開いて剣が戻っていくのを見つめる様子は恍惚に似ていると誰も指摘しないのか、それともそれを見るのを愉しまれているのかわからないが、デキウスにとっては目の贅沢であり、欲望への迷惑でもあった。

「邪魔をしたようだ。すまぬ」

 剣を体内へと収めると、ルベウスはいつもの怜悧な表情と口調でデキウスに言った。

「いや、こちらも周りを見ていなかったからな……」

「いつも以上に派手にやったようだな」

 この土地に命が戻るにはしばしかかりそうだ、とルベウスは呟いた。

「地上にいた頃に治めていた辺境の土地だ。そのさらに辺境だがな」

「ほう……? また随分と――」

 それで力がいつもより増しているのかと、ルベウスは腕を組んで周囲を見回し適当な言葉を選んでいると、デキウスが笑い混じりに「穢れている、だろう?」と続けた。

 視線を返し頷く。こんなふうに他愛ない言葉さえ交わしたのは久しぶりだった。

「このあたりは、酔狂なやつらが建てた神殿だったか宝物庫だったかがあった。その遺物の力を狙って集まって来たのだろう」

「この様子だとすっかり壊れてしまったか……」

 否、と答えて招くデキウスに従って着いていくと、地下へ降りる古い石段が口を開けていた。デキウスが手を一振りするとここを護っていた闇が凝縮して集まり、その代わり地下の闇が見通せる程度に薄れる。枯れた水盤があったが、デキウスが通り過ぎると主人の来訪を喜ぶように清冽な水を溢れさせたので、二人とも顔と手を軽くすすいだ。

「便利だな」

「火を点すより安全だろう?」

 片手をざらざらとした壁について長い長い階段を下りていくと、足元の感触が変わった。一歩踏み出すたびに乾いたものを踏み砕く。

「――骨か」

 ルベウスが呆れたように眉を吊り上げる。

「変な連中が生贄だとかで放り込んでいった名残だ。別に穢れてはいまい」

「誰が見ても邪教の神殿だな」

「お褒め頂き恐悦至極」

 デキウスは笑いながら、そこに散らばり雑多に積み上げられた奉納品を見回した。錆びたり傷ついたり、あるいは経年の劣化で壊れているものが殆どだ。宝物と言うような煌びやかさはないが、どれも汚れを払えば一級の芸術品ではあるだろう。

 ルベウスも冷めた目で見ていたが、何かに興味を惹かれたようで骨の山から突き出た黒い剣の柄に近寄る。黒曜石のような照りのある物質に血色のガーネットが埋め込まれ、何で彫刻を施したのか流麗な文様が刻まれている。刃の部分は深く地中に突き立てられていた。

「これはまた、圧倒される……穢れだ。だが美しい」

 目を輝かすルベウスに、デキウスは思わず失笑する。

「そこまで穢れてたら、今の俺たちでは扱えん」

「残念だ」

 本当に惜しい、という手つきでルベウスが柄を指先で撫で、弾かれたように手を引っ込めると、体を二つに折り盛大にむせた。すぐに両膝をついて崩れ血を大量に吐く。あまりにも突然流れ込んだ穢れに、ルベウスは口と胸を真っ赤に汚して呆然としているが、同時にひどく咽せながらひきつったように笑い出す。

 腹の中に溜まった討伐やここ暫くのさまざまな穢れと一緒になって混じりあい、吐血という方法で体が自浄しようとしているのだ。

 デキウスになかば肩を支えられて引きずられるように水盤があった場所まで戻ったが、ルベウスは苦しそうにしながらも口元では凄絶に笑っていた。

「半分寄こせ……これでは戻れん」

 デキウスが暫く止めていた闇の穢れを引き受けようと申し出た言葉に、ルベウスは「懐かしいな」とまた笑った。

 愉快というよりも、狂気の笑いに似ていてデキウスは相手の顔を覗き込んだ。

「ルベウス……?」

「お前に闇の穢れを取ってもらったときも、こんな有様だったな」

 ルベウスは自分を覗き込むデキウスに上目遣いで見上げ、こんな、と血で汚れた両手を掲げる。デキウスはその手を取ると指先に口付け、背に手を回して撫でてやる。

「冷静なのだか、無茶なのか……」

「冷静だとも」

 ルベウスは手足を投げ出して壁にもたれたまま、デキウスにかからないように傍らへ血を吐いた。

「斎戒宮で焼かれたあとの苦しさと、はらわたを焼けた鉄串で引っ掻き回される苦痛と吐血なら、今のほうがいい。

 混じってしまってわからない」

「何と?」

 ルベウスはそれには応えず、かわりに両目を薄く細めると間近なデキウスの肩に額を押し付けた。

「すまぬな、デキウス」

 何が、とは尋ねずにデキウスはルベウスの頬を片手で包んで闇の穢れを吸収するために唇を重ねた。

 血の味しかしないのに、甘く感じる。口腔を探るほどの時間もなく、またルベウスが噎せて血を吐いたが、今度は彼からキスを求めて舌を差し入れてきた。

 もっと貪り、血を舐め取り、舌を味わいたいが、何度も血を吐くことで中断する。

 だが、そのたびに何度もルベウスがデキウスの口唇を求めてきた。

 力の弱った手を髪に差し入れ、顔を傾け、より深く、より強くと。

「――堕ちるぞ?」

 何度か目の血を吐いたが穢れは半分に減ったルベウスに、デキウスはできるだけ軽い調子で呟き、血で汚れた頬を撫でた。

「なるほど、堕ちるとはこういう気分なんだな……」

 ルベウスはまた乾いた笑いを立てると深く溜息をつき、デキウスを開放して壁にもたれると目を伏せた。





 遠くから二人を探す仲間たちの声がする。

 二人を再び聖界へと戻すべく手当てを施し、再び穢れへ向きあわさせるために――。

 

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