黒と赤

聖22 お題【7/29】

お題:試してみる?/抱きしめてもいいかな/たくさんの嘘とひとつの真実


 地上での一件は、ルベウスとデキウスが大量の穢れを浴びた事故として処理され、あまりの血と穢れに慄き手を貸そうとしない天使たちを尻目に、二人はお互いを支えあいながら天界へと戻った。これだけの穢れを一気に浴びて、よく消滅しなかったものだとフィディウスすらたじろいだほどだ。
 二人はなかば隔離に近い形で斎戒宮の一番奥の部屋に連れて行かれ、特にルベウスは浄化の苦痛を味わうというよりも、あまりに体力を消耗していたので昏睡に近い状態まで陥った。
 気の毒だったのはデキウスのほうで、魔族の穢れとルベウスの穢れを引き受けたせいで浄化せねばならぬものはルベウスと大差なかったが、彼とつながりの深い土地だったゆえに逆にエネルギーもたっぷりと得ていたことだ。そのせいで失神することもなく、いつもより数倍苛烈な激痛に耐え抜く羽目になってしまった。逆に言えばそれだけのエネルギーがあったからこそ、ルベウスの穢れを半分呑み込めたわけなのだが。
 時間感覚が特に乏しくなる斎戒宮の回復室でようやく気力を取り戻したデキウスは、自分の頬を撫でながら地上でのルベウスを思い返していた。
 お互い大量の穢れを浴びて確かにいつもとは違ったが、シャリートとのことがあって以来、皮肉なことに一番距離が近かった。
 そしてルベウスの意志で何度もくちづけてきた。もどかしげに、そしてどこか飢えたように。あんなキスは今まで一度もない。
 頬を撫でていた指先で自分の唇に触れ、あれは闇の穢れの苦しさから逃れたいという渇望だけではなかったのではないか、と爪を噛む。ルベウスの血を含みすぎたせいか、同じ宮にいるせいか、意識をのばせば彼の気配に触れることができた。
 穏やかに眠っているように感じられるということは、彼もまた肉体を纏ったまま回復の時間を取っているのだろう。ここしばらくアストラルの体を選んでいたルベウスにしては珍しい。
 デキウスは立ち上がると、白い羽毛のような帳が幾重にもかさなることで部屋を区切っている空間をいくつも抜け、方向を見失いそうになりながらもルベウスの気配を追ってようやくその姿を見つけ出した。
 寝椅子に気怠げに身を沈め、頭だけを軽く肘掛にのせて頤を上げた姿勢で眠っている。
 滑らかな額から流れ落ちた髪が、頬にかかっており、デキウスは傍らに膝を付くとそれをそっとかきあげてやった。
 苦痛に苦しんだ痕も何かに悩まされて懊悩している影もない。起こすまいと触れるか触れないかの距離を保って、指先でその顔の曲線をなぞっていく。
 知性を感じさせる高い額から眉の申し分ない傾斜、影を落とす眼窩、それを覆う瞼、彼を怜悧に見せている理由の一つである細めの鼻梁、頬骨を覆う薄い肉、耳から顎のライン、そして何度もキスを強請ってきた口唇。
 斎戒宮にいるにもかかわらず、凝りもせず穢れが降り積もるのを感じながら、それでもデキウスは口角を僅かに上げて穏やかな目でルベウスを見ていた。
 何度か瞼が震え、光の加減で薄蒼にも灰色にも見える酷薄な印象を与える双眸が開かれる。ぼんやりとした視線は更に何度か瞬き、間近にいるデキウスの姿を捉えて微笑みに緩んだ。ごく自然に手を伸ばし、銀糸の髪をさらりと撫でる。
「――抱きしめていいか?」
 掠れた声で許可を求めるルベウスに驚き、差し伸べられた両腕に身を預ける形で抱かれてやった。
 頭の後ろを髪の感触を愉しむようにゆるく撫でられ、その形を辿るように手がうなじから背へと下りてくる。そのあまりにもの穏やかな優しさと秘められた別の熱に繋がる温かさに、デキウスはルベウスの胸に頬を乗せて目を閉じた。
「こうしていると、また穢れが淀んでくる」
 ルベウスは睦言でも囁くように頭を掻き抱いたまま、可笑しげな声音で漏らした。胸に押し当てて直接聞く声は、初めてかもしれない。
「だが、触れないよりも苦しくない。触れることに意味があるとはな」
「あるぞ。たくさん、ある。
 試してみるか?」
 デキウスは顔を上げると、身を引き上げ覆いかぶさるような姿勢でルベウスを覗き込んだ。なぜこのタイミングのこの場所なのかと腹立たしい。
「斎戒宮で言うことじゃない」
 とルベウスがまた悪戯げに笑う。
「言うことじゃないとわかってるなら、次まで待ってやろう」
「気が長いな」
 わざと不機嫌を装っているように見えるデキウスにも、笑みが浮かぶ。
「神は気が長いもんだ」
「それは知らなかった。では契約しておくか?」
 ルベウスは笑みを深めると、両手でデキウスの顔を挟んで抱き寄た。わざと小さな牙を見せるようにして口を開くと上唇を舐め、デキウスと今まで交わしていない想いを込めたくちづけを長く求める。


 そこに長く二人を隔てていた躊躇いと戸惑いはなかった。


 

 

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