黒と赤

聖18 交通事故(ぬるめのお題031)

交通事故がお題でした。ファンタジーですので、「偶発的事故」な感じでw


 

 ルベウスはもし自分に主人に逆らうという意志があれば、どのタイミングでそうしていればよかったのかすらわからずに、「性急な用がなければ」という前提で座っているように言われた椅子に腰掛けていた。
 部屋の反対側には贅を尽くした天蓋つきの寝台の上で、絡む影。
 紗のとばりが半分降りているせいではっきりと見えないのが幸いなのか、それとも  いっそう 漏れる声や吐息が気になるゆえに不幸なのかわからない。
 いや不幸、というのとは違うだろうことは確かだ。

 暫く前に、デキウスが地上でお前に似てる雰囲気の人間が居た、と聞いたのが発端だった。最初はまた馬鹿なことをといい加減に聞いていたのだが、そのうちあまりにも酔狂で似たことをする主人との合致に、デキウスには伏せたままそれとなく主人に尋ねてみたところ、あっさりと認める返答があった。
「私とお前が似ていると言うか、デキウスは。面白い」
 背格好と漆黒の長い髪は確かに似ている。だが表情も豊かであたりが柔らかく、誰に大しても差異なく親しさを見せる主人のシャリートと、怜悧な表情で人を寄せ付けぬものを纏い、仕事以外では他者と距離を置くルベウスでは印象がかなり違った。なので二人を似ているとまで評するものは少ない。
 もし似ていると感じるならば、ルベウスの仕事の面ではなく個人的に親しくしており、親しさも柔らかさも知っているということだ。
「ご興味がおありでしたら、お忍びで参られずとも申しつけいただければ、連れてまいりますものを」
 ここまではごく当たり前でごく日常的なやりとりだった。
 主人が何かに興味を持ち、ルベウスが代わりにそれを手に入れて献上することは過去に何度もあったことだ。
「では命じる。デキウスを召集せよ」
「御意」
 気ままで自由なデキウスといえど、五神の一人から呼び出されれば参内せざるを得ないだろう。面倒がるだろうなと思いつつ、丁重に頭を下げて辞した。
 そして何か目をつけられるようなことをしたかと訝るデキウスを伴い、再び主人の宮を訪れた。
デキウスは間近にみたシャリートの容貌にやはり軽く目を瞠り、ルベウスと見比べるようにちらりと視線を走らせた。その様子にシャリートが笑う。
「似ているか?」
 中級の、しかも自分の部下に似ていると言われるのは無礼にあたるのかあたらないのかと逡巡して黙していたところ、顎に指を添えて顔を上げさせられた。
 澄んだ紫水晶の目がデキウスを覗きこみ、魂の奥まで見透かすような凝視と何か吟味しているような間があったあと「なるほど」と呟いて手を離した。
「属性は混沌の王に近いのだな。私ではささやかにはなるだろうが……」
 腕を組み、一歩下がり、もう一度頭からつま先までを確かめるように見る。
「伽を申し付ける、デキウスよ。お前の見返りは快楽と力だ」
 柔らかな声音だが、有無を言わせぬ者だけが持つ圧倒的な命令。
「御意。光栄に存じます」
 それ以外の答えが許されるはずもなく、ルベウスはいつものように非礼にならぬよう視線を床に落としたままだったが、デキウスのどこか愉しむような声音だけが印象的に聞こえた。
「ルベウスは友の用事が終わるまで、性急な用事がなければこの場で控えておれ」
「仰せの通りに……」
 ルベウスの頭上で衣擦れと、目にせずともわかるくちづけの音がした。
 何度も。
 そして何度も。
 キスに興じてどちらが漏らす吐息かわからぬものが混じる。
 ようやく二人が部屋の反対側の寝台へと移動したとき、ルベウスは初めて自分が息を詰めていた事に気付き、静かに細く吐きだした。

 時間の感覚はもともと曖昧な場所だが、人の世界でいうなら二刻近い時が流れただろう。慎ましやかとは到底言えぬ奔放なデキウスの嬌声と肉体が触れる音が続いている。五神である主人の房事は肉体だけでなくアストラルにも酩酊するような感覚を及ぼすのだから、デキウスは 旧神たちの娼館で日々味わっているものとは比べ物にならない、そして再現できぬ悦楽を心と体で味わっていることだろう。
 ルベウスが主人の恋人との寝台に付き合わされたことは珍しくないが、個人的に伽の相手を要求されたことは無い。主人は自分を性の慰みに使ったことは無い。そして今ここで感じているような不快感を持ったことは一度も無いことに思い当たった。
 鳩尾当たりが疼く。ちょうど闇の穢れを取り込んだときに似ていた。
 だとすれば、今なにか自分でそういった穢れを産み出しているわけだ。

 何度目かわからぬデキウスの懇願するような達する掠れ声が漏れ、ようやく今までになかった暫しの静寂がおりた。
 半ば開いていた帳が押しやられ、シャリートが姿を現すと、命じたとおり控えていたルベウスに眉を上げて笑いを見せた。長い髪に一筋の乱れも、肌に浮いた汗もない。ただ双眸だけが恐ろしいほどに煌いていた。
「素直で可愛げのない愛し子よ、友を連れて戻るが良い」
 そして身を屈めると、親指でそっとルベウスの唇に触れた。
 精の匂いがふっと掠める。
 シャリートは笑みを深めると、そのまま部屋を出て行った。

 ルベウスはいつもと変わらぬ熱を感じさせぬ表情のまま、快楽の絶頂のあまり意識を手放して果てているデキウスの裸体を清め拭ってやり、服を纏わせ整えた。シャリートの言葉通り、与えられた力は自身の底上げになったのであろう。放つエネルギーの強さが違う。眠っているわけではないが、半ば忘我だ。
 どういう言葉をかけるのが相応しいか、と逡巡している自分に驚く。
 ルベウスが連れてきたのであれ、デキウスが自ら来たのであれ、今の状況は変わるまい。自分たちに拒否という選択は用意されていないのだ。
 だが、この前ルベウスにむかってシャリートは言った。
 絶対的な服従と忠誠を強いて要求したことは無いと。
 ではこの場に座っていることさえ、翻すことができたのか、と思った時にこみ上げる 吐き気を感じた。
 穢れが喉を焼くようだ。
 なんとかそれを嚥下し、理由のわからぬ激しい不快感に息を深く吸うと肉体を解いた。

 耐えられぬ。

 だが何に?

 眉間を寄せ、デキウスを見つめていると、銀の睫が震えて視線が焦点を結んだ。
 側にルベウスがいること知って、快楽の余韻の残った双眸で微笑む。
 手を伸ばして触れようとして、ルベウスがアストラルであることに気付いたのか、若干残念そうに下ろした。
「ずっといたのか」
「責任があるからな」
 ルベウスは自分の声の苦々しさに驚く。
「責任? なんの?」
 デキウスは欠伸を一つ噛み殺すと、すっかり身じまいされていることに気付いて肩をすくめた。
「我が君の元へ連れてきた責任だ」
「まさか、悪かったとか思ってるんじゃないだろうな?」
 笑いを含んだデキウスの言葉に、ルベウスの眉間のしわが深くなる。
「神の気をいただけるのだ。栄誉であろう……」
「いやはやなんとも、すべてにおいて想像以上と言おうか」
 デキウスの思い出し笑いを含んだ言葉に、ルベウスが「帰るぞ」と背を向けて鳩尾あたりを抑えた。アストラル体が不安定に揺らぎ、一瞬肉体に戻るとまた解ける。
「おい……」
 随分穢れが、という言葉を聞く前に「斎戒宮に行く」と呟く。
「そんなに刺激的で思うことがあったか?」
 デキウスが揶揄するように笑いながら軽く言ったが、ルベウスは無言のまま肩越しにちらりと振り返っただけで踵を返した。

 その目にいつもの熱のなさはなく、激しい怒りと不快感が滲んでいたことに驚く。

 そしてそれが、デキウスの心を鷲摑みにした――。

 

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