黒と赤

聖10 部下(ぬるめのお題019)

さらに3つの恋のお題:そんなところも好きだよ/真昼だって構わない/君の声が聴こえた気がした/スキンシップ:「力強く」「手首を握る」。キーワードは「昼」含む


 ルベウスは主人である五神の一人であるルートゥアン(堕天したのちはシャリートなので、以下シャリートと記述)に呼び出された。
 小国で崇拝されていた春の女神と、豊穣の女神の姉妹が双子神の妹であるグウェンドリンに吸収されることを選んだという。もとより対魔族の仕事など不向きで、そう言い出させるために中級に配したとか思えなかったが、平和的な終焉でもあった。
 彼女たちの個性はグウェンドリンの一部となり、祀られていた神殿は取り壊されることもなくグウェンドリンの神殿として手厚く保護されていくだろう。数多の土地の神のなかでも、一番多いのがこの春と豊穣だった。彼女たちはどこの土地を守護していたかルベウスの記憶は曖昧だったが、とりあえず二柱の神が消えることは確かだ。
「御慶申し上げます」
 ルベウスが目を従順に伏せ、片膝を突いた姿勢で恭しく応える。
「ついては姉妹から最後の我が儘であると、嘆願された一件がある。判断は私に委ねられたが、お前に聞きたいのだルベウスよ」
「は」
 シャリートが玉座から立ち上がり、黒に銀糸で刺繍をした長い上着の裾が床を払うのが見える。

「お前に春の館へ来訪願いたいと。真意は察する通りだ」

「御意」
 躊躇いも澱みもないルベウスの返事が静かに返される。
「お二人から最後にと望まれるとは色男よな。代われるものなら代わってやりたいが」
 シャリートが面白そうに笑い、ルベウスの髪を摑むと上を向かせた。
「あの館を訪れていないのは、私だけだからでしょう。我が君が参られましたら、ご姉妹は恐縮のあまり寝台の上に上がる前にグウェンドリン様に召されてしまわれるのでは」
 喉を曝す姿勢になっても、ルベウスは目を開き主人に薄く笑った。
「よく廻る舌だ」
「我が君のお陰様をもちまして」
「行くのだな?」
「無論」

 シャリートはルベウスの髪を摑んだまま、くちづけられそうなほど顔を寄せ、
「可愛げのない」
 と苦笑した。人を魅了する紫の瞳が、ルベウスを見つめている。

「そういう面を期待しておられますまい」
「断ってもいいのだぞ」
 そう言うとルベウスの髪を離し、立つように促した。
「私を融通したことで我が君に有利に働くことでしたら、個人の意など些少なものでございましょう」
「だからもう少し我が儘を言えば、可愛げがあるというのに」
「お許しいただけて敢えて申し上げるとすれば、姉妹様には楽しい夜になるとはお約束しかねるということでしょうか」
 シャリートがその言葉に鼻先で笑った。
「努力せよ」
「御意」
 ルベウスはもう一度深々と一礼すると、御前を辞した。


 春の館とは文字通り春の女神と収穫の女神の姉妹の館なのだが、旧神の特に奔放な者の間では娼館も同然の乱交場所としてひそかに有名でもあった。フィディウスは館の方角を見るだけでも渋面を作るほどだ。
 春の女神はほっそりと花の乙女のごとく愛らしく、収穫の女神は熟した果実のように豊満で妖艶だ。男神でも女神でもその気になれば褥に誘うことで有名だった。文字通り精を吸い取られ昇天消滅した旧神すらいるらしい。
 実際ルベウスにとっては面倒な仕事だったが、これで神々の一つの節目が来るなら意味がないわけでもない。幸いなことに彼女たちは聖界の館ではなく、下界の彼女たちを祀った神殿へルベウスを招いた。聖界であれば物見高い連中が外で見物と洒落込みそうだ。
 地上の貴族として華美すぎぬ妥当な服を纏い、指定された神殿を訪れる。
 巫女たちの住まう場所らしいが、さすがに人間の気配はなかった。鼻腔を満たす香の香り、どこからともなく流れる四弦の音楽。
 風呂に通されたっぷりと姉妹手ずからに身を清められ、香水を振りかけられ、彼女たちの褥に招かれ、果てのない拷問かと思われるほど相手を務め、彼女たちが神の眠りに就くまで傍らで寝物語をし、姉妹たちがアストラルとして消え、神殿が本当の無人になったのは一昼夜明けた翌日の昼だった。

 肉体に閉じ込められているせいか、体が眠りを要求してくる。聖界に戻るよりも先に肉体の体を休めたかった。
 衣服をきちんと整え、最後に神殿に一礼をして欠伸を噛み殺しながら建物を出ると、訪れたときには気付かなかった街の様子が太陽の下ではっきりと見える。
 簡単に言ってしまえば、娼館と宿が立ち並ぶ色街だ。個人的に思うことはあっても、特に自分に関係のないことなので五神を祀る聖堂のある街の中心を目指して歩き出す。夜に動き出す通りは人もなく、ゴーストタウンのようだ。
 聖堂でなくとも、どこかの宿でいいかと思いかけたとき、力強く手首を摑む手に驚いた。

 振り返れば、自分よりよほど姉妹たちを悦ばせ堪能させることに長けているであろう男だった。

 驚いて自分を見ている顔がおかしくて、疲れていたこともあるのかルベウスにしては曖昧な笑顔を見せた。
「こんな場所に御用がおありとは、お前もオスってことか」
 デキウスはニヤリと笑ったが、ルベウスは面倒そうに手をひらひらとさせて「必要とあらば娼館でも行く」と欠伸をひとつして答えて歩き出した。

「それは朗報だ」
「お前の相手をするわけではない」
「多人数でも一向に構わんぞ」
 並んで歩き出すデキウスを横目で一瞥し「適当な宿を知らぬか」と尋ねた。

「その気になったか」
 ルベウスは立ち止まると大きく溜息をついてまた欠伸をした。

「春と豊穣の姉妹の相手をしたんだ。眠い」

「それはまた――剛毅な」
 ルベウスはもう一度「眠い」と呟くとデキウスの肩に額を乗せてうつむく。ルベウスには珍しい花の香水の香りがデキウスの鼻をくすぐった。

「おい、こんなところで寝るな。連れ込むぞ」

 とりあえずルベウスの襟首をつかんで歩けと促す。

「そうだな、どうせなら斎戒宮へ……」
「どうせ姉妹もお気の毒な仕事なんだろう?」
 デキウスの苦々しげな言葉に、ルベウスは重そうに頭をあげてわずかに目を見開いたが、やがてふっと笑うと今度は頭を押し付けるように肩に乗せた。
「字を書いてくれと言われるのと大差はない。だが……お前のそういうところは気に入ってる――」

 デキウスは「殺し文句だけは心得てやがる……」と毒づくと、ルベウスを肩に抱え上げ、翼を広げると石畳の路地を蹴って舞い上がった。

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