黒と赤

聖33 【9/13】お題

お題『ねえ、好きだって知ってた?』、を二人らしくやってみた…


主人に呼び出され、今日ほど御前に行くのがあれこれと躊躇われたことはない。いっそ仕事に失敗したとか上手く進んでないと報告するほうが、気が楽なことがあるとは思いもしなかったが、仕事に関しては何も問題は生じていない。嘘も誤魔化しも必要ないのだ。
 ルベウスは入室を許す応答を聞いてから、面会用の間ではなくプライヴェートな主人の執務室に入った。  主人はいつものようにルベウスの調子を尋ね、仕事の進み具合を尋ね、最後に次の仕事の手配を命じた。そして下がっても良いと許し、ルベウスが深々と一礼したところで「そういえば、バールベリスの仕事を請けてやったと?」と付け加えた。
 辞儀の姿勢のまま「はい」と答える。
 ルベウスの顎に指がかかり顔を否応なく上向けさせられ、主人のアメジストの視線を見つめ返す。
「依頼の品は無事黒鳥城に届けられた。大儀」
「恐悦至極に存じます」
「同行者は役に立ったようだな」
 シャリートは意味ありげに言うと、面白げに目を細めてルベウスの冷静な顔を覗き込んだ。
「まさかお前が、よりによって仕事中に、さらには私の結界内で、個人的な意思で誰かと情を交わすとは思ってもいなかった。いや、愉快。
――違うな。そうではない」
 責めるでもなく軽い口調でルベウスが一番触れて欲しくなかった部分を指摘する主人から、礼を失しないように視線をそらせないでいることは大変な努力が必要だった。それでも押し殺した内面の動揺は主人に伝わっているようで、シャリートは顎を取っていた指を頬に滑らせて親指で撫で、最後に頭を軽く撫でた。
「責めていない、呆れてもいない。ただそれでお前がどう変わるのか少しばかり興味はある」
 お気に入りのペットを撫でるような手つきに髪を乱されるまま、ルベウスはその言葉に眉を寄せる。
 変わる?
 何か変わっただろうか、と。

「お前は仕事で誰かの閨に行くことに意味を感じない。行為そのものもにも。封じているわけでもなく我慢しているわけでもなく、理解できないのだ。誰かがいかにその素晴らしさを説こうが、意味を語ろうが、共感できないのがお前だ」
だが、とシャリートはルベウスの頭を撫でる手を止めて、顔を覗き込むと瞬きもせずに見つめた。
「同行者とのキスはどうだった? 抱き合って触れた肌は? 共に悦びを感じる場所を探る気分は? そしてもう一度そんなときを持ちたいと思ったか否か」
 ルベウスが戸惑いながらも口を開きかけたのを見て、シャリートはそれを指先で制した。
「感想を聞きたいのではない。お前がおまえ自身に答えよ、ルベウス」
 そして下がってよい、と優しい口調で一言添えるとルベウスを解放した。
 ルベウスは旧神たちの居住区に戻ってくると、自分のねぐらへと向かいながら、ふと娼館呼ばわりされている春の女神の館の前で足を止めた。ルベウスが神へと吸収されるのを見送った、前の姉妹女神たちのあとにやってきた春の女神もやはり多情で奔放でわかりやすい。どの地方であれ、春と豊穣の神は成長や恵みと共に生殖にも結びついていることが多いので、彼女たちが神として与えられるアイデンティティも必然的にそうなるのだ。
 一方でルベウスの個体の由来に生殖はない。聖界に上げられる前に人の姿を取れるようになってから地上を彷徨った時も、その行為に意味を見出すことはなかった。それに伴う感情も。 なので主人が指摘したとおり、理解することも求めることも無いが、だからといって感情がないわけでもない。
 ルベウスが春の館の前で足を留めるのは珍しく、出入りする旧神たちが少しばかり驚いた表情と、相手なら喜んでしようとでもいうような意味ありげな微笑を浮かべて通り過ぎていく。
「嫌悪か物欲しいのかどっちだ?」
ルベウスが振り返ると、怪訝な顔をしたデキウスが自分を見ていた。
「少々考え事をしていた」
 その表情がおかしくて、ルベウスはうっすらと笑みを浮かべる。
「春の館の前でか」
「そういう関係のことだったのでな」
「必要なら相手もするぞ?」
 面白がるデキウスに「そうだな……」と答えて、意表をつかれた相手が驚く表情をするのが可笑しい。さらにデキウスの顔見知りが物見高そうにこの立ち話を見物し始めたので、ルベウスは場所を変えようというように自分の部屋と美術品の倉庫を兼ねた場所へ移動するぞと、顎で指し示して歩き出した。
 色彩が乏しく白と金銀と光に溢れた聖界で、ルベウスの部屋はいつも雑然とした落ち着きを感じさせる。物と色が溢れ返っているが、過去の美術品や書籍が乱雑にあるせいかそれでいて静謐だった。
 主人の館に行く前に整頓して行ったので、今日は本も乱雑に散らばっていない。デキウスはすでに馴染んだといえそうなこの部屋の、柔らかなクッションが無造作に散らばった床に腰を下ろし、ルベウスに側に来るようにと手を差し伸べた。
 ルベウスは相変わらず何か考えるような表情をしていたが、デキウスの招きに応じて彼の前に片膝を立てて座った。
「で、何を娼館の前で何を考えていたって?」
 デキウスの手が伸ばされ、いつものように髪に触れてくる。
「お前と何度キスをしたか、とか」
「回数を増やすか?」
 揶うように言って顔を寄せるデキウスに、触れるだけの軽いキスを返し、その自分の反応に今更ながら戸惑ったようにおのれの唇を撫でる。
「いつからだろう?」
「何が?」
 デキウスが指に髪を絡めて、また顔を引き寄せる。ルベウスの思考を妨げるようにまた軽いキスが触れた。
 何かの見返りでもなく、仕事でもなく、相手が喜ぶからという先回りの気持ちでもなく、自分で触れたいと思う気持ちがキスをさせるようになったのはいつからなのか。
 そこにどういう気持ちがあるかを考えたことが無かった。そしてその先にさらなる熱を求める気持ちがあることを知っている。だから地上で餓えたように求めた。
 自分の何がこの男を求めるのだろう、と唇を離した間近な距離で薄蒼の目で見つめる。 「誘ってるのか?」
 デキウスのくだけた口調に、口角を上げて笑いを返す。
「どう思う?」
「自分に都合良くとることにしているんでな」
 髪を弄んでいた手がうなじに廻され、今度は唇を何度も食みながら粘膜を撫でるキスになり、ルベウスからも相手の頭に手を廻して抱き寄せた。
 胃の辺りに薄い穢れが落ちていくのを感じるが、それが相手に触れられないときに溜まるものよりも希薄に感じられるのが不思議だ。
「どれも全部肯定せざるを得ない場合、どうすれば……」
 ルベウスの独り言に、デキウスが頭を傾げる。
「また何か難しい考えごとか?」
「我が君と私の秘密だ」
 ルベウスが悪戯げに目を細めて笑う。
「それは少しばかり気になるな」
「お前は身を持って知ってる」
「そういう回りくどいのが気に入らん」
 少しばかり不満げなデキウスにルベウスは喉奥で笑うと、肩を押して床に押し付けた。腹に跨ってその顔を見下ろして、好物を目の前にしたような舌なめずりをする。
「どこまで愉しませてくれる?」
「それはこちらの台詞だ」
 デキウスがルベウスの腰に手を添えて、それを脇腹へと撫で上げた。その他愛ない愛撫に笑いながら、上体を屈めて
「欲しいだけ?」
 と尋ねる。
「欲しいだけ奪う。お前も奪え」
「気が合うようだ」
「最初から知ってる」
 二人は視線を合わせて唇に浮かぶ笑みを深めると、聖界では交わらないという境界をギリギリ保てる賭けでもするように、濃密なキスを求め合った。

 

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