黒と赤

【聖44】 「以心伝心」(ぬるめのお題071)

 聖族と言うものが優しく慈愛に溢れているというならば、それは人間と一番接触する最下級天使のイメージだろう。彼らは人に優しく、哀れみと深い慈愛を持つが、同時にあらゆる誘惑や欲望に弱い。それが中級天使になると、旧神の出自のものが多いせいもあって、魔族相手に戦うことを厭わぬ者が多く、そのために過剰な殺戮や残忍性で堕ちる者も多かったが、彼らは地上に降臨できる最後の聖族位階でもあり、下級天使が迷う欲もかなりの許容量で取り込めた。
 そして上級天使になると人のことには関わらず、全てが神を称えることが第一優先となり、二番目に魔族との戦いがくるのだが、彼の多くは容赦なく冷徹で、神の名の元に揺るぎ無い断罪をした。そんな上級天使が聖族の軍勢を率いて出陣するのは、冥界に封じられたはずの冥王ドゥーガルが原始魔族を率いて聖族へ戦いを挑む時だ。冥王は転生が適わなかった魂を冥界につなぎ止める役目があるにもかかわらず、常に地上の世界を欲していた。幸いなことに冥界から地上へ出る門はないのだが、聖界にある地上へと降臨する門を狙って隙あらば進軍して来るのだ。

 七大天使の一人、グラティエルが聖族軍を率いて下るときは、戦いによって多くの天使が『五神の名のもとに』消えるときでもあった。それは再生できぬほどのダメージを受けての消滅と、穢れと瘴気にあてられて堕天する場合と、一番多いのが限界近い穢れを帯びて自軍に見捨てられる危険性が常にあるということだ。
 大天使らは言う。
 神への曇りなき信仰があれば、すべては杞憂だと。
 聖族とは決して友愛に満ちた優しい集団ではなく、神への不義と穢れという名の元には一片の同情もない種族だった。
 異色と呼べる旧神の集まりである、中級天使たちを除いては。

 天界の門が開き、戦のラッパが鳴る。
 上級天使に率いられた戦天使たちと、彼らを補助するものたちが、翼を広げて旋回し、猛禽のように悠然と天から冥界へを舞い降りていく。
 遠くから見れば羽毛が舞い散るような光景だ。
 冥界軍が聖界の門へたどり着けるなどと思わぬぐらいの場所で、彼らを元の場所へと追い返すのが役割だった。
 やがていくつもの集団に別れ、おのおのが受け持った敵へと突っ込んでいく。
 ルベウスとデキウスも、未来に同じ空を飛ぶとは思いもせず、薄暗い空のもと瘴気と毒霧の原野を進み、醜悪で無数の原種の魔族たちの群れと対峙していた。
 彼らは大抵知能が低く数はうんざりするほど多い。統制や戦略など無いにも等しく、群れを率いている固体を潰せば、戦う意思すら霧散して逃げていく。
しかしそれまでは殺戮の本能だけで動いているので、仲間がいくら潰されようと怯むことなどない。
 だが地上で何度も同じような群れを相手にしてきた二人は、いまや打ち合わせも必要なくお互いの行動を完璧にフォローしていた。
 ルベウスの炎を吐く大鴉と雷撃を落す大鴉が交互に雑魚を薙ぎ払い、敵の意識がそちらに向いている間にデキウスが上空旋回から直下に滑空し、群れを率いている個体を討ち取る。
 視認できないほど高い上空から直下に落ちて大剣を叩き込み、衝突しないよう寸前で翼を広げて衝撃の全てを受け流せるほどの聖族は少ない。それは彼がひとえにほかよりも大きく長い翼を持っていたゆえと、本来もっていた力の強さだろう。本当ならば強大な魔力を扱えるのだが、デキウスの扱う闇は、冥界では分が悪い。
 ルベウスは残っていた雑魚が断崖の裂け目などに逃げ惑い散っていくのを見ながら、大鴉の魔力を取り戻すために炎を吐くアーリアを剣の姿にもどして体内に収めた。
 同じ流れを何度繰り返したかわからないが、かなりの消耗を感じる。デキウスですら大剣を背にもどし、両膝に手をついて大きく喘いでいた。白の軍装はいつものように見る影も無い。
 行動を共にしている仲間たちも、疲労の色が濃い。回復を担う天使たちはまだ気丈にも全力でサポートしてくれているが、彼らとて力は無限ではないのだ。
 何よりも彼らが戦うのは原始魔族だけではなく、この冥界の瘴気と毒霧もあり、通常の地上の魔族討伐の数倍の消耗を強いる。そして彼らの穢れに対する限界は一定ではない。できるだけ同じ許容量を持つもので編成されているものの、精神面まで同じとは限らないので、つねにそこは不安定要素でもあった。
 限界を超える前に撤退して継続の軍と交代し、天界に戻って穢れを落とした後、すぐまた出陣することになっているが、そこまでもつのだろうかという不安が掠める。
 ルベウスたちの一隊は本陣を叩く為と言うよりも、陽動で敵の意識を多方面に散らせることだ。ドゥーガルが率いる本陣は、奥深くまで冥界に進んでも堕ちる心配のないほど強大な力を持つルーフェロ自らとシャリート、大天使たちが赴いており、ルベウスたちは右翼部分の一部だった。
 こちらに続々と敵がやってくるならば、彼らの行動は成功していると言えるのだが、すでに易々と対処できる限界は越えている。
 哨戒と伝令を兼ねる鳥型のアストラルが届き、次の敵の襲来を告げたがそのまま穢れの限界を迎えて消滅した。すぐに次が放たれたが、それを見ていた誰もが、同じことがわが身に降りかかる可能性を思って沈黙する。
 新たに左翼から飛んできた伝令が、形勢不利の知らせを運んできた。
 回復を担っていた一隊が丸ごと消滅し、前線で戦う連中もじりじりと押されているという。代わりの回復援軍が到着するまでにはまだ一刻以上あるらしく、もし突破されれば本軍はもちろん、こちらへも敵は向かって来るだろう。
 どうする、と誰もが誰かに決断を委ねるように視線を交し合う。
 半数を割けるほどこちらも余裕が無い。二つに分ければ、共倒れもありうる。他の隊に連絡を取る猶予もあまりない。ここを死守すべきか、援軍を出すべきかの結論が出ない。

 普段の討伐では特に誰が隊長というわけでなく、天上で指示が出され、目標を討伐する連携さえ取れていれば己の裁量にまかされておりそれで問題なかったが、今この場では誰かが判断する必要があった。こちらのリーダーはフィディウスだが、もっとずっと前方の上級天使近くで別の敵と戦っている。

 この場で最大に敵を蹴散らしているのはデキウスだ。その分、他の仲間は自分たちが楽をさせてもらっていることも自覚があった。自然と判断を仰ぐように彼に視線が集まり、デキウスは拒否するように頭を横に振って傍らを見た。
 ルベウスはその場の様子を無視して顎に指を添えて暫し考えていたが、我に返って自分に集まっている視線に怪訝に目を眇めた。
「時間がないので、強硬策を取ろう」
「策があるというなら、それに乗る」
 デキウスの即答に、周りも頷く。
「では一番回復魔力の低下している方に私の魔力をできるだけ回復していただく。その方はそのまますぐ回復のため天界へ戻ること。
 皆は今こちらに向かっている集団を潰して、私とデキウスが左翼に援護に行く。3人の抜けならば多少厳しくともフォローできるだろう」
「あちらは形勢不利になっているというが、二人で何とかなるのか?」
 俺は構わないが、と言いながら天界へ戻る天使からアストラルで魔力の補給を受けているルベウスを見た。
「策があると言ったろう?」
 ルベウスが珍しく誰にもわかる笑みを見せると、すぐに「行くぞ」と空へと舞い上がった。

 二人は色の無い塵芥のように入り乱れて戦う冥界軍の原始魔族の群れのさらに上まで上がり、天使たちを見下ろしながら、ひときわ隊列が損なわれている左翼を目指した。
 それを確認し降下しようとするデキウスをルベウスは止める。
「待て。お前の力を借りたい」
「何なりと好きに使え」
  ルベウスの薄蒼の目が常よりも高揚して輝いているを見て、デキウスの口元に笑みが浮かぶ。
「お前の地上の神殿付近で戦ったとき、お互い意図せずに力を合流させて放ったのを覚えてるか」
「ああ。あれはなかなかの威力だった」
「残念ながらあのときほど魔力が残ってないが、ラズワードとアーリアの2度放てる。連中は闇には耐性があるが、炎と雷撃が乗った強大な闇には適うまい。ただしお前にも限界近いものを放ってもらいたい」
「なるほど。そりゃいい。しかしどうやれば?」
「本当は礼儀正しく魔力を一部交換して相手に連携時に不快な感覚を与えないのがいいのだが、まどろっこしいだろう?」
「そんな時間があるならな」
「いかにも」
 ルベウスはそういうとデキウスの襟元を掴んで引き寄せ、唇が触れる前から舌を出して舐め、キスをした。
 デキウスの口中に無理やりな勢いでルベウスの舌が潜り込んでくる。
 甘いキスなどとは到底いえず、だからといってお互いを求めて飢えたものでもなく、デキウスがその舌先を愉しもうとする前に引き抜かれた。
「唾液を飲め。私の一部だ」
「なるほど、悪くは無いが、色気も無い」
 デキウスは苦笑すると片腕に抱えられるほどの闇を集めて球状にし、滑らかに脈動しながら渦巻く夜そのもののようなものをそのまま上空へと手放した。
 主人について旋回していたラズワードがその闇へと突進する。
 空気を振動させる雷鳴の轟音が轟き、デキウスもルベウスも己の力が混じりあう衝撃で目を瞠ってお互いを見た。
 手首を返したデキウスの動きと共に闇が地上へと放たれる。
 青白く放電する闇が広げられた翼のように雑魚もろとも率いている個体を飲み込み圧搾し、雷電で焼いていく。焦土が現れて立っているのは聖族のみの空間ができる。
「次」
 ルベウスはそういうとまたくちづけ、今度はデキウスも一度舌を絡める程度の余裕をもって迎え、小さな牙に己の舌を押し付けて血を滲ませた。
 デキウスが同じように闇を生み出すと、今度は炎のアーリアが飛び込み、闇の業火となり地上へ放たれていく。新たな緩衝地帯が広がり、ギリギリの戦いを強いられていた天使たちも膝をついて空からの援軍を見上げた。
 その光景を見守りながら、二人はお互いの力が混じりあった、産毛が逆立つ衝撃が何に似ているかはっきりと知り、軍勢とは距離をとってお互いに縋るようにして地上へ舞い降りた。
 二人が二つの群れを壊滅させたことにより、つかの間の休息を得て隊列を建て直していくが、さらに次の群れを迎え撃たねば援軍が来るまでの時間を稼げまい。なので救援の二人のことはすでに顧みずに、先方への警戒に切り替えているが、正しい判断だ。
「これだけの威力があるのに、聖族がお互いの魔力を混じり合わせない理由がわかった」
 デキウスがやれやれと言うように、膝をついているルベウスに眉を上げる。
「お前向きだろうがな」
 ルベウスが疲弊した表情で見上げ、こちらもかろうじて笑みを見せた。
「まあ娼館に出入りしてる連中は気に入りそうだ」
「だが戦う気力が失せる」
 ルベウスは剣が無い、というように溜息を吐いた。体内の魔力が復活しないと、剣を大鴉にして呼び寄せることもできない。
「精の代わりに魔力を放つのだから、仕方あるまい。誰に習った?」
「気になるか?」
 ルベウスが面白げに目を細め、乱れた髪を掻きあげた。
「今度ゆっくり聞かせてもらおう」
 デキウスは苦笑すると、また背の大剣を抜いて構える。
「あとは体力頼みか」
「進めるならば行け。私は少し自浄の回復時間が必要だ」
 ルベウスが大地に座り込んだまま、行けというように手を振った。 
「穢れなら引き受けるぞ?」
「不要だ。血を吐くにはまだ間がある」
 ルベウスの殺戮と穢れに凄みを増した双眸に目を奪われ、デキウスは身を屈めて軽くくちづけると、僅かなエネルギーを流しこんだ。
 それに気付いて、ルベウスが感謝を伝えるように腿を軽く撫でる。
「では斎戒宮で会うとしよう」
 二人はそう囁いて笑うと、別れの挨拶がわりにお互いに頬に触れた。