黒と赤

聖21-1 お題【9/23】「言えるわけが無い」

 ルベウスはフィディウスの命を受けて、デキウスに今更ながらの施設の案内と規則の説明をしていた。そんなものはデキウスが聖界に迎えられた当時にフィディウスが一通り説明し終わっているのはどちらも承知していたが、ルベウスに任されたことは聖界でのこまごまとした常識だった。

 下級の聖界生まれの聖族ならば誰もが知っていることを、旧神から中級天使に迎えられた者たちは当然知らない。そして必ずそれらを窮屈に思うのだが、遵守しそれで秩序を保つ上級と下級の聖族に挟まれれば一応は知識として心得ておかねば何かと肩身が狭いのだ。

 聖界において相手の肉体に触れることの非礼は、デキウスがルベウスと初対面の折にすでに犯してた。だがこの非礼は皮肉なことに肉体の快楽を地上で謳歌していた種の旧神たちにとっては堕ちる最大要因でも非礼でもなく、親しさを込めた日常の挨拶に過ぎない。非礼とされる所以は、主に地上へと降りる肉体の誘惑に脆い下級天使たちのためだ。

 あとは五神や大天使たちの住まう水晶天を案内すれば終わりだったが、そこへ行く手前でルベウスは足を留めた。

「ここから先はもう知っていたな」

 それは暗に、ルベウスがデキウスを伴って五神の一人でありルベウスの主人でもあるシャリートの館を訪れた時のことを指していた。デキウスもそれに気付いたのだろう、軽く肩をすくめて頷く。

 あの日の出来事について、二人は微妙な距離を保ったままだった。どちらもあの一件を話題にしない。ルベウスが伽に連れて行ってしまったと謝ることもなければ、デキウスがシャリートとの房事をあれこれ話すことも無かったが、ただあのことが起因している微妙な距離は縮まらない。

 むしろルベウスのほうがその距離を測りかねているようだった。

 デキウスが求めれば躊躇いがちに応え、それはやがて熱を帯びる。

 だが、ルベウスからはできるだけ冷静になれる距離を置きたいように見えた。

「お前はどうしたいんだ」

 とはデキウスの投げた問いだ。主人であるシャリートも似たようなことを言った。

 それを考え続けていようでもあり、それらから逃げているようでもあった。



 ルベウスが物思いに耽っているうちに二人はいつしか旧神の居住区まで戻ってきており、別れを告げようとしていた自分とは裏腹に「少し寄って行くか?」と棲みかへと誘っていた。

 距離を置こうとしているにもかかわらず、相反してデキウスとの時間を欲しがる自分がいる。そしてそうしてしまえば、彼からの抱擁もくちづけも拒めない。

 いや本当に拒めば彼はこの距離を踏み込んでこないだろう。そうでない曖昧さが相手をも困惑させているのはわかっている。



 倉庫と書庫と寝起きの場所を兼ねたルベウスの部屋に入ると、デキウスは殆ど身長の変わらないルベウスを腕と壁で作った檻に閉じ込めた。

 壁に両手をついてルベウスの顔を覗き込むと、頬に唇をつける。ルベウスは少し迷惑そうに熱の低い薄蒼の双眸でじっと見つめ返してくるが、拒むそぶりは無い。

「そろそろ何らかの答えが聞きたい」

「何か約束していたか?」

「約束などしていない。だが、問いは投げた」

「――」

 ルベウスは迷惑そうな眼差しから不快そうな表情に変わり、そこでようやく視線を反らした。居心地の悪い沈黙が降りる。

 それでもデキウスは両腕の檻を解かなかったどころか、さらに距離をつめた。

「こうしていれば逃げないが求めないくちづければ、応える。抱きしめれば熱もある。

 だがそうでなければ、できるだけ距離を置こうとしている。何故だ? どちらが本音だ?」

 またもや沈黙による応えがあり、デキウスは顔を近づけ頬に唇が触れそうな距離で更に囁きで問うた。

 あの日以来、お互いが決して触れなかった話題に。

「お前の我が君に抱かれている俺を見て、どう思った?」

 ルベウスの双眸が視線を反らしたまま僅かに見開かれ、そしてゆっくりとデキウスの目を間近な距離から見つめ返してきた。

「言えるわけが無い」

「何故?」

 揶うでもなく尋ねるデキウスに、ルベウスは溜息を吐いて些か自嘲気味に吐き捨てた。

「――言葉が見つからぬ」

「他に伝えるすべはないとでも?」

 デキウスが唇を触れさせながら「教えてくれ」と囁く。

 ルベウスは躊躇いがちにキスに応え、遠ざけていた触れ合う温かさと濡れた感触に瞑目する。

 仕事で数え切れぬほど誰とでも交わしたキス。

 意味も無く熱さも無く、ただ行為の一つに過ぎないものが、突然に鮮やかな色を持っていたと知るキス。

 だらりと下ろしていた両腕を上げてデキウスの背に廻し、そのカーブを辿ってうなじから頭へと這い登らせていく。

 透ける銀糸の髪に指を差し込むと、指の合間から髪がこぼれていくのを楽しみながら頭を支えて深く舌を差し入れた。柔らかに触れる口中の熱さと、応えてくる淫らな生き物のような舌の動きに、目を背けようとしてた意識の奥底が疼く。

 それを歓迎するかのようにデキウスに絡み取られ、下腹部が重なった。

 隠し様の無い熱は相手に知れるだろうが、言葉の拒絶も冷淡な態度も何もかもが空しくなるほど雄弁だ。そしてあるじに抱かれるデキウスを見て、奪われるという気持ちよりも勝っていたものがある。



 己はデキウスを求めている。



 取引でも見返りでもなく、個人的な興味と欲と、何から来るのかわからない執着と独占に近い何かでこの男が欲しいのだ。その一方で我欲で求める限界が見えずに途方に暮れる。

 デキウスがキスの合間に囁きかけた声はどこまでも甘い。

「自惚れそうだが……」

「嬉しいか?」

 ルベウスが苦笑交じりに返して額をつけ、デキウスの足を割って膝で付け根を擦りあげた。

「そうでもない」

「ほう?」

 面白げにルベウスの口角が笑みにつりあがる。

「距離を置いてきたということは、それを望まないお前もいる」

「髪の一筋全て残らずで求めろと?」

 薄蒼の目を揶うように眇め、ゆっくりとデキウスの口唇を舐め上げた。

「それが好みだ」

 濡らされた自分の唇を舐めて、デキウスが不敵に笑う。

「覚えておこう。だがお前のせいで堕ちる気はない。そしてこの気持ちもわからない」

 ルベウスも喉奥で笑うと、片手をデキウスの熱に触れさせて目を覗き込みながらゆっくりと撫でた。

「それは知ってる」

 デキウスが笑みを浮かべたままその手に腰を押し付け、二人は改めて距離の薄れたキスを交わした。何度も確かめ、その感触を悦ぶように。

 そしてルベウスはこの男を欲しいと思う先に何があるのかという戸惑いと迷いが、また新たな穢れのように緩やかに内へ沈んでいくのを感じた。

 欲しいと言う気持ちに限界があるのかどうか、自分には未知の感情だった。

 求める気持ちが受け止められ叶えられることで生まれる、所有の感覚も。

 求めたい気持ちと、その限界を知らずにどこまでも落ちていくような己の貪欲さを引き止める気持ちがある限り、この男の言う髪の一筋残さず全てで求めることはなかろうと思いながら、キスの甘さと熱さに息を吐く。

 少なくとも、あるじに抱かれていたデキウスを目にして渦巻いた感情の濁流が引いた最後の一滴はわかった。



 自分はこの男を抱きたいのだと――。

 

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